今回はかなり特殊な体験を紹介いたします。どの体験も独自であり、かなり少数派な体験談となりますのでお楽しみいただけることかと思います。
研ぎ澄まされた感覚
これは10年前の学生時代の話です。
東京のある学校に通っていた私は部活動は卓球部に所属していました。その部活動での出来事です。
卓球部の部活動を行なっている体育館の横で剣道部も練習を行なっていました。
いつも顧問の先生と専属のコーチが指導していた剣道部ですが、その専属のコーチは盲目の方でした。
でも不思議と○○君もっと腰を入れて竹刀を触れ、○○君ふざけるな、遊ぶなら帰れ、などまるで目が見えているのかと思うくらい的確なアドバイスをしていました。
そしてなぜ見えないものが見えているように指導できるのかを尋ねると、一度車の事故で意識を無くし、目の前に三途の河が見え、その河を渡るため船に乗り込んだ時に先に亡くなったお兄さんにお前はまだ早いと言われて腕を引っ張られだそうです。
その瞬間に病室で目が覚め、盲目となぅてしまったが、命を繋ぎ止める事となったそうです。
その日から足音や、言葉、音だけで周りが見えているかのように感覚をさえぎらすことができたそうです。
余談ですが、その体育館にはいっつも楽しそうにバスケットボールをついて走り回っている女の子がいるそうなのですが、それはその場にいる卓球部全員、剣道部全員が見る事ができませんでした。
死の縁から生還した人間にしか見えない世界があるのも感慨ぶかいものだと思いました。
(香川県 男性)
オーラ
体験などではないですが、基本的にオーラのようなものは見えてます。
もともと父や父方の祖父が霊体験を多くしていて、おそらくそれを引き継いているのかと思うのですが、祖父は一度原因不明の病で高熱と全身の腫れでもう助からないと言われたのですが、霊が見えているという方に触れてもらってお祓いをしたら、次の日には熱も腫れも引いて、祖父本人が見えるようになったらしいです。
父に関しては、今から40年ほど前に東京で1人暮らしをしている時に、寝ている時に足を蹴られているようで目を覚ましたら、白い着物を着ている女性がいたらしく、驚いて電気をつけたらいなくなったそうなんですが、びっくりしたのはその当時会社で勤務していた女性だったらしく、次の日に交通事故で亡くなっていたことがわかったそうです。
亡くなったその日に最後に会いに来たようで、足を挟まれて亡くなってしまったそうで、足を蹴ったのではないかと父は思っているそうです。
私自身は、霊を見えるとかはないのですが、何かがいる雰囲気をつかめる程度なのですが、霊をひきつけやすい体質らしいです。
自分が見えるのは人のオーラのようなもので、オーラ自体は何色かあるみたいなのですが、全部が見えるわけでもなく、その人の根本の色のようなものが少し見えます。
高校生の時は、有名に心霊スポットに行った時にそこで写真を撮ったら写っていて写真を友達が捨てたんですが、数日後に私の自宅から写真が出てきたことがありました。
(山形県 男性)
母のブームであった遠隔治療体験
20年前のことです。
母は今はもう亡くなりましたが、生きてきた時は不思議ちゃんというか、変なものを信じたり怪しい宗教に勧誘されて壺や印鑑や化粧品を買わされてしまう人でした。
そんな母が一時ハマったのが心霊治療。
母は「すごいのよ!本当に悪いところが治るのよ!」と力説していましたが、私は「またいつものが始まったな~今回はいつまで続くのかな~」と軽くあしらっていました。
ちょうどそのころ、母と2人で温泉旅行へ行き、旅行先で私が熱を出しひどい頭痛に襲われてしまいました。
頭痛薬を飲んでも全く治まらず、電車に乗って帰るのも辛いほどの状態でした。
すると母が「ちょっといらっしゃい」と言って私はホテルの公衆電話まで連れて行かれ、そこで母が誰かに電話をかけ始めました。
まさか救急車を呼ぶわけではないだろうし、かかりつけのお医者さんに電話してもどうしようもないし、一体どこの誰に電話してるんだろう・・・そんなことを考えながら母が電話の相手と話しているのを聞いていると、母は私の様子をひと通り伝えて「じゃあよろしくお願いします」と言って受話器を私に渡しました。
状況を理解できないまま電話を代わると男の人の声で「頭が痛いのね。すぐに治してあげるからね。」と言って、それから「はぁ~~~~~~~~~~~~~」と深く息を吐くような、それこそ気を送るような音が聞こえてきました。
私は訳が分からなかったのですが、数十秒か数分かだまって聞いていました。
するとその間に頭がふわ~~っと軽くなるのを感じ、そして気づいたらひどい頭痛がすっかり治まっていました。
本当に不思議でしたが、その後熱を測るとほぼ平熱まで下がっていました。
母が言うには「遠隔治療」というものだそうです。
自分が体験してしまい信じない訳にはいかなくなったのですが、それでも、もしかしたら何もしなくてもちょうど治るタイミングだったのかも?と思いたい、つまり心霊治療というものを信じたくない気持ちもあったので、この話は今まであまりしたことがありません。でも、その時だけは怪しい心霊治療に感謝しました。
(東京都 女性)
演劇の覚醒
私は高校時代、演劇部でした。
私の通っていた高校の演劇部はかつて県大会への常連校でとても部員の多い大所帯の部活でした。
部員の殆どはキャスト(役者)になることを目指して配役はいつもオーディションで先輩後輩関係なく行われていました。
私が2年生の年、私は見事準主役級の役をオーディションで勝ち取りました。
私にとって初めての大舞台、とても一生懸命になって朝から晩まで稽古に明け暮れていました。
そして私たちは県大会へと進むことができました。一つ学年の上の先輩たちが成しえれなかった夢を勝ち取って私たちは正に夢中になっていました。
そしてその県大会の本番の真っ最中に、私はとても不思議な経験をしたのです。
舞台はクライマックスへと向かうとても息詰まったシーン、簡単に言うとその時の役としての私の心情は「裏切りへの憎しみ、不信感、そして死の恐怖、絶望」そんなシーンが進んでいる中で、ふと気付くと私は舞台の上の方、照明器具が並んでいる所らへんから自分を見下ろしていたのです。
今でもはっきりと思い出すことができるその時の状況、確かに「私が、私を見下ろしていた」のです。
幽体離脱という言葉が一番しっくりくるのでしょうか。でも舞台は滞りなく進んでいるのです。
実体(?)の私は、意識(?)の私とは全く別の存在のようにちゃんと台詞を言い舞台の上を動いていました。
そしてそれを見下ろしている意識の私はとてもとても心地良さを感じていました。
憎しみと死の恐怖のシーンなのに意識の私はとても幸せな気分で「ずっとこのままでいたい。舞台なんて終わらなければいいのに」と思っていました。
でもそんな夢心地な気分に包まれているとスッと意識が遠のき、私の意識は実体へと戻り、私は最後のシーンへと向かっていました。
本当に、あれは何だったのでしょう。
とにかくあの時の感覚が忘れられなく、もう一度経験したいと思い、私は高校卒業後舞台俳優を目指し役者を続けていました。
もう一度、あの感覚を経験したら役者を辞めてもいい、死んでもいいと思うくらいでしたが、残念ながらもう2度とその経験をすることはありませんでした。
私は名残惜しい気持ちを抱えながら役者を辞め、結婚して主婦になりました。あれから20年近く経った今でも、あの時の心地良さを忘れることはできません。
(京都府 女性)
死の絵
写生大会参加者は入場料が無料になることも魅力的だったので、小学校4年生から参加するようになりました。
小学校5年生のとき、オオカミを描いて賞をいただきました。
翌年はクマを、中学生になり、ライオンを描いてそれぞれ賞をいただくことができました。
好きな動物を描いて賞をもらえたことがとても嬉しかったので、子ども心に描いた動物にも報告したい!という気持ちがあり、賞をもらってからしばらくしてオオカミ、クマ、ライオンそれぞれに会いに動物園に行ったのですが、どの動物にも賞をもらえたことを報告することができませんでした。
なぜなら、3頭とも体調不良や老衰で亡くなってしまっていたのです。
その当時はただ悲しいとしか思わなかったのですが、高校生くらいになってふとそのことを思い出した時に怖くなってしまい、それ以来、頼まれた時以外に動物や人間は描くことをやめました。
ライオン以降の写生大会で描いた動物はみな元気で、賞もいただくことはできなかったのでただの偶然かもしれませんが、もしかして描いたらまた死んでしまうかも、という不安が心のどこかに今もあります。
(宮城県 女性)