阪神淡路大震災でタンスが倒れてきて潰されそうになった体験談
ありがちで恐縮ですが、地震の際の九死に一生です。場所は兵庫県、時期は1995年1月17日。そう、阪神大震災です。私は当時中学生でした。前日から珍しく風邪をひいて熱を出しており、薬を飲んで早めに寝ました。次に目を覚めたのは母親の叫び声でです。
すでに地震は発生した後で、母は離れた部屋に寝ていた私の無事を確かめるべく叫んだけれども返事がないので、死んだと思って半狂乱になっていたそうです。
私は布団で寝ており、その部屋には洋服ダンス2竿と勉強机がありました。それが倒れてきて私の体を押しつぶしたのかもと思ったそうです。
実際にタンスは私の体の上に倒れてきていました。しかし反対側にあった机の引き出しが飛び出して、そのタンスを受け止める形になっていたようです。
それよりなにより怖かったのは、タンスの上に置いてあった木彫りの置物が転げ落ち、私の顔の真横にありました。
本当に真横、顔との距離は10センチもないほどです。恥ずかしながら私は寝相があまりよくないもので、体が布団から飛び出ていることも少なくないのですが、その日は冬でしかも薬を飲んでいたので眠りが深かったのか寝たときの位置とほとんど変わっていなかったために助かったのだと思います。
(東京都 女性)
日本海中部地震で目の前にシャンデリアが落下し九死に一生体験談
青森県在住です。昭和58年の日本海中部地震の時の事なので、36年位前でしょうか。当時、まだ10ヶ月の娘と2階の部屋にいました。娘は隣の部屋のベッドですやすや眠ってました。ところが突然ガタガタ揺れ始めて驚きました。
「地震だ!」すぐに娘を抱っこして下へおりようとしましたが、階段がユッサユッサ揺れて、娘を抱っこして降りることなどとても無理です。家の階段は板と板の間が抜けていて、向こう側が見えるタイプなので、特に揺れがひどかったんだと思います。
下へ降りるのはあきらめてソファーのある方に移動した瞬間、天井のシャンデリアが目の前にガチャーンと落下したのです。
0.1秒移動が遅かったら下敷きになってたかと思うと心臓がバクバクしました。まだ揺れは続いてます。
今度はテレビ台からテレビが落下し、サイドボードの中のグラスやカップもガチャガチャ転んで割れました。本棚の本も次々に落下。窓から外を見ると、電線は激しく揺れ、砂ぼこりがすごく舞い上がっていました。
このまま娘と一緒に死ぬのかなあという思いが頭をよぎりました。下から義父が私の名前を叫んでるけど、動けないのです。しばらくして、ようやく揺れがおさまりました。
幸い私も娘も怪我は無かったですが、目の前にシャンデリアが落ちた時は本当に死ぬかと思って体が固まりました。タンスや本棚等も近くにあったのに、倒れなかったのも幸運でした。
当時は地震に対する知識があまりなかったのですが、今考えてみると窓の近くにいたのはとても危険だったという事です。もしその時窓ガラスが割れていたらと思うと、ゾッとします。
その娘ももう結婚して、女の子がいます。つい最近も地震がありましたが、その時の事を思い出して、当時の事を娘に話しました。今の時代はスマホに警報が来て少しは準備する時間があるので、少しでも安全な所に身をおきたいですね。
(青森県 女性)