ご神木の持つ力
地元にある神社なのですが、いつも通り過ぎるばかりで立ち寄った事はない神社がありました。
名前も何となく聞いたことがある程度だったのですが、ある日縁結びの神社を検索していると、そのご近所の神社の名前がヒットしました。
「縁結びの神様だったんだ~」と初めて知り、翌日訪れてみました。
連休中だったので、程よくにぎわっていました。
参拝した後、境内の隅々まで散策していると、裏手にご神木が立っていました。
触れてもいいご神木だったので、両手をそっと当ててみると何故かほっとするような温かさが幹から伝わってきました。
力をもらったというよりは、心に触れたような感覚でした。
帰宅後も何事もなく過ごしたのですが、翌日の晩、眠りにつくと何故かその神社の夢を見ました。
息子と一緒に参拝している夢で、何故かキラキラとまぶしいイメージの夢でした。
目が覚めて確かに「神社に呼ばれている」気がしました。
その日は平日でしたが、「神社に呼ばれている感覚」が頭から離れず、時間の合間を見計らって再び神社に足を運びました。
2日目とは違い人気はまばらで、もう一度ゆっくり参拝しました。
境内の裏手に回り、先日と同じくご神木に手を当てると自然と顔を上げ、ご神木を見上げていました。
すると風がふわっとわきあ上がり、ご神木の葉がさわさわと揺れ木漏れ日が美しく降り注いできました。
前回よりもご神木に触れた手は暖かく、帰り道でも何故かぽかぽかとしていました。
(埼玉県 女性)
ご神木で野球をしてしまった結果
10年程前、北海道のとある神社の一部をリフォームすることになりその現場へデザイナーとして入りました。
現場の作業は滞りなく進み、作業員達とも楽しく過ごす日々でした。
ある日、軽く野球をすることになりました。
本格的な物ではなく、神社内にある大きな広場にてキャッチボールにバッターを足した程度の物です。
同僚が昼休みに使おうとボールは用意してありましたが、バットがありませんでした。
そこで神社内の落ちていた木を私はバット代わりにしました。
調度握りやすく、振りやすい大きさでした…しかし後で知りましたがその木は大切な御神木の枝が落ちた物でした。
調子良くバッティングしていましたが、何とも言えぬ違和感がありました。
それはその日ずっと心に重くのしかかりました。
その日の作業を終え何とも言えない気持ちのまま帰宅する時間になりました。
その帰り自転車で移動していた私は急に開けられた車のドアに当たり数メートル飛び、全身打撲で動けなくなりました。バチが当たったんだとすぐ思いました。
動けない体とは対象的に、それまで重かった気持ちはスッと軽くなりました。“これで許してくれたのかな”と…神社の木はイタズラに使ってはいけませんね。
(北海道 男性)