車中で腹痛と脱水症状に見舞われ危険な状態になってしまった体験談
45年ほど前、私が小学校6年生の夏休みに家族で、黒部ダムや北アルプス連峰に2泊3日の家族旅行にマイカーを使っていくことになりました。まだ、北陸自動車道なども敷設されておらず、中央道も途中までしか開通していなかったので、国道19号線を主に使っての旅でした。
長野県の大町市から黒部ダムに向かっていきましたが、途中ひどい渋滞で歩いたほうが早いほどのノロノロ運転です。まだ我が家の車にはエアコンも設置されておらず、ウィンドーを全開にしていても車中は大変暑いのです。
なんとかダム付近の駐車場にたどり着いたら、今度はトロリーバスの乗車に黒山の人だかりというありさまで、さらに5時間かけて私たち家族は黒部ダムの観覧をすることができました。
その後、大町市の旅館に投宿しましたが、私はひどい腹痛と下痢に襲われました。整腸剤を飲むといったんは治まりましたから、次の日には、穂高岳や焼岳などのドライブルートに向かいました。が、暑さのためか車酔いなのか嘔吐症状が出現してきました。
下痢も頻繁になり、体から水分が失われていくのが分かります。意識ももうろうとしてきたので、母親が少し動揺して、私にコーラを飲ませました。これが良くなかったのでしょう。飲んだ直後に黄色い液体を吐しゃしてしまい、気絶してしまいました。
すぐさま、救急病院に搬送されます。そこで、1日以上私は点滴を打たれながら、意識を失っていたようです。
医師の話では、脱水症状をおこしており、あと半日以上放置していたら、命に危険があるということでした。
コーラを飲ませた母親は医師に叱られたそうです。しかし、私は気絶している最中、この上なく気持ちがよかったことを覚えています。
死ぬ直前というのは、脳内麻薬が分泌されると聞いていましたが、あんなに快いものとは思いませんでした。
(愛知県 女性)
恐怖の腹痛 まさに間一髪で九死に一生体験
今から5年ほど前に栃木県に引っ越して半年が経ったくらいのことです。数日前から39度を超す高熱が続き、腹痛もありました。近所の内科にて診察してもらうもロキソニンがだされるのみ。
ロキソニンを飲むと一時的に熱も痛みも治るのですが4時間ほど経つと寒気と腹痛がしてきて不安でした。だんだんこれは内科ではなく婦人科系ではないか?と自分でも感じてきましたが、なにせ引っ越してきたばかりでかかりつけの婦人科もありません。近所の土地感すらないのです。
夫が仕事に行くと一人きりで知人もいない中、痛みと高熱に苦しむこと数日、夫と夕食をしていると今までと比べようもない腹痛が起き、身動きもとれなくなってしまいました。
自分の運転で夜間救急に行く力もなく夫に救急車を呼んでもらいました。
救急隊がかけつけてくれ事情を聞かれましたがはっきりと風邪と判断された訳でもなし、まずはそのかかりつけに搬送しようかと連絡をとってもらいましたがなんと受診拒否。
市内の主な病院もかかっていた内科に行くべきだと受け入れてくれず、またもやかかりつけに救急隊員が依頼してくれましたが、そんなに酷いならなおさらうちでは看れないと断られました。
だんだん私は痛みのショック症状で震え、喉の渇き、冷や汗が現れ救急隊員も県全体に一斉にコールをするという最終手段をとってくれたところ、幸運なことに全ての科の医師が待機しているという病院が見つかり40分ほど救急車で走り受け入れてもらえました。さらに診察を受けたところ腹膜炎ということで全身麻酔で緊急手術となりました。
傷跡も大きくショックでしたが後から説明を聞いたところもう少し遅かったら全身に膿が回り死んでいただろうと言われてしまいました。
運良く見つかった一つの病院がしっかり対応してくれたおかげで助かった命だとつくづく思いました。
(東京都 女性)
鼠径ヘルニアで猛烈な激痛から無事生還
2017年に、鼠径ヘルニアで激痛が起こり死にかけた経験があるのでお話しします。
その日はなんとなく下腹部に違和感があったのですが特に痛くはなかったのでそのまま放置して仕事に行っていました。
すると昼過ぎくらいから陰部に痛みが走るようになりました。
流石に少し変だなと思ったのですが腹を下してしまったのかなと放置してしまいました。
すると帰宅するときに事件が起こりました。
意識が飛ぶくらいの痛みが陰部に走り、触ってみると大腸と思われる部位が下に飛び出ていたのです。
私はその場でうずくまりしばらく動けなくなりました。
近くにいた同僚に必死の形相で詳細を伝え救急車を呼んでもらいました。
そこで私は救急車の中で外科医の先生に触診をしてもらうことになりました。「ヘルニアだねこれは、すぐに手術するよ」と言われそのまま緊急手術となりました。
手術自体は1時間くらいで終わり、術後に痛みがなかったので良かったですが発症した時の痛みは凄まじいものがあり本当に死ぬかと思いました。
人生で一番の痛みを感じた出来事でした。
あの時一人だったら救急車も呼べずに危なかったかもしれません。
(北海道、男性)
腹膜炎から無事九死に一生体験談
1991年頃,幼少期に「腹膜炎」で、死にかけました。私は当時死にかけた記憶はありませんが…
とにかくお腹が痛くて痛くて仕方なかった事は覚えております。
そのうち治まるだろうと、私も家族も油断しておりました。
数時間我慢した所で、私は痛すぎて記憶を失いました。
次に目が冷めた時は病院のベッドでした。
お医者様も始めは盲腸だと軽く考えていたそうですが、実際は腹膜炎で緊急開腹手術になりました。
勿論私は記憶にありませんが、手術も当時幼児の私には負担があり、又思ったよりも腹膜炎の状態が悪く、母は「最悪の事態も考えて下さい。助けられないかも知れない。」とお医者様に言われ、ショックを受けたそうです。
手術中に大量出血からの心肺機能低下、血圧低下に陥り、一時期は危なかったそうです。
輸血を行い、お医者様のお陰で無事に生還出来た私はそんな大変な状況も知るはず無く、目覚めた時には酸素マスクが息苦しかった位しか記憶にありません。
今もくっきりお腹に開腹手術の跡が残っておりますが、意識を失う前の腹膜炎が痛すぎたせいか、術後の痛みはそこまで記憶にありません。現在も元気に生活出来ており、当時のお医者様や両親には感謝しかありません。
(神奈川県 女性)
夢から突然の腹痛 九死に一生
大学2年生の夏の話です。
朝目覚めて「少しお腹が痛いかな」と言う感覚を覚えたものの、その日は日曜日だったため、「明日悪かったら病院へ行けばいいか」と思い、そのまま散髪に行ったりしながら一日を過ごしていました。
午後3時過ぎに眠気に襲われたため、横になりそのまま眠りに就きました。
暫くして、不思議な世界へと導かれました。
そこは石がゴロゴロしており、急な坂のようになっていましたが、危険という程のレベルでもなく、滑り落ちるように降りて行けば、安全に下ることのできるような坂でした。
私は導かれるままその坂を下っていくと、川のほとりへとたどり着きました。
川の流れは急なものではありませんでしたが、流れている水の色は黒く、一見川底が見えないような感じでした。
川の対岸に目をやると、ほんのりと明るく蝶のような虫が舞っていました。
目の前の川を渡ろうと水の中に足を入れようとした時、何かが私の襟を掴み次の瞬間、物凄い力で引っ張られたところで目が覚めました。
その後激しい腹痛に襲われたため、急いで救急車を呼びました。
診断結果は盲腸と腹膜炎の併発。あと三日手術が遅れていたら、命を落としていたかも知れないと言われました。
(男性)