九死に一生な話

☆【九死に一生な話・実話】 突然起こった体の異変!からの生還エピソード6選

後数時間遅かったら危険な状態だった体験談

わたしが高校生の頃ですが、 一度死にそうな経験をしたことがあります。友達と自転車で近くのショッピングモールに遊びに行ったときのことです。

時期はちょうど6月でしたが、晴れていて少し汗ばむ陽気でした。とくに朝から調子が悪かったということもなく、いたって元気に遊んでいました。

お昼になってショッピングモールのフードコートで友達と何を食べようかと話しているときに事件は起こりました。

友達に話しをしていたとき、突然目ん玉が上を向いてしまいそのまま意識が朦朧として倒れてしまいました。突然のことで友人がとても慌てていたことだけは感じていましたが、目の前は真っ暗で耳も遠くなっていきました。

すぐに友達が救急車と母親を呼んでくれて大きな病院に運ばれて行きました。視覚も聴覚もままならない中、意識だけはなんとかあり集中治療室で一晩過ごしました。

ハッキリと意識が戻り、視界がハッキリしたのは次の日のお昼だったと思います。その後一週間の入院ですっかり元気になりました。

色々な検査をしたのですが、結局原因はわからずじまいでした。

しかし唯一言えることは、お医者さん曰くあと少し通報や治療が遅かったら一生の障害を負っていたか命に関わっていたそうです。

(愛知県 女性)

肺気腫で九死に一生体験

神奈川県横浜市に住む40歳です私は今から17年前の22歳の時に九死に一生の体験がありました当時の私はトラック運転手をしており勤務先まで原付バイクで30分ほどの距離でした

いつものように勤務先に向かって原付バイクで走っていたところ急に息が苦しくなりましたきっとバスや大型車両の後ろを走って排ガスをすったので苦しくなった一時的なものだと考えていましたしばらくすると今度はもっと息が苦しくなり原付バイクを止めて休んでいました

少し症状が軽くなった気がしたので急いで病院に行こうと思い家に帰り家に着くなり青白い私の顔を見て救急車を呼ぶか聞かれました

救急車を呼ぶと目立つし後で近所で話題になるのが嫌だったので断り親の車で緊急外来に向かいました

病院に着くなり普通ではない雰囲気を感じた看護師さんが車イスを用意してくれてそこに座り外来受付の一番前まで案内されました

ここで私の記憶が一旦途切れ次に意識があったのはなんと手術中でした

意識がない白い霧の中を歩いているような?見ていましたその最中にしっかり!!意識をしっかり持って!」という手術中の医師の一言で意識を取り戻したのです

病名は肺気胸という肺に水がたまってしまう病気らしいですが私の場合はなぜか肺に血が溜まっていたために起きたようです

後で聞いた話ですが手術の際に背中から肺の辺りを切開したときに出血が多く一時危険な状態だったと聞きました

思えばあの白い霧の中を歩いていたのはその前兆だったのかと思うと怖くなりましたまさに九死に一生を得た体験でした

(神奈川県 男性)

原因不明で危険な状態からの生還体験

私が最初に九死に一生を体験したのは中学2年生の冬休み中でしたその日まではごく普通に家族と楽しく過ごしていましたが夕方になってから調子がどんどん悪くなりテレビを見ないで寝よう廊下を歩いていたら前触れもなくその場で倒れました

音に気が付いた父親は私の様子がおかしいことに慌てていながらも救急車を呼んで家から離れた病院に私は緊急搬送されましたそこで告げられたのが脳貧血でしかも一歩遅れていたら心筋梗塞だった点滴で2時間掛かりましたが効いたのか体調が良くなり無事に家に帰ることができました

後に内科で診察を受けて診断されたのが副交感神経失神で完全には良くならず自分で気を付けるしかない先生に言われました

次に体験したのは成人してからです今から数か月前に激しい倦怠感と胸部の痛みが続き脈拍も3桁になるなど体調が悪い日が続きしまいにはまた失神しかけたりして病院に行きそのまま入院したとき激しい目眩がしてベッドに倒れこんだこともありました

そのときは痛みがひどかったので食欲もなく栄養状態が悪いとしか言われなかったのですが詳しい検査をしたものの原因不明としか言われませんでした

よくよく考えたら人間は何が起こるか予測できないし生きている中で九死に一生を体験するんだな思いました

(宮城県 男性)

突然起こった立ち眩みの恐怖 無事生還

今から8年くらい前のお話です

私は血圧がとても低くそのため以前は立ちくらみが酷かったです

特に疲れていたりするとフラフラしてしまう状況でした

その日は仕事帰り私は疲れた状態でスーパーで買い物をしていました記憶があったのはそこまで次の瞬間目の前が真っ白でした

起きたらそこは病院のICU

私は立ちくらみで倒れて頭を強く打って救急車で運ばれていたのです

起きてすぐ看護士さんが気が付いて近寄ってきましたが私の第一声は吐きそうでした

頭を打った人は吐くとよく言われますが本当なんですね

その時にこのまま目覚めなかったら手術をするところだと言われました

しばらくICUにいた後は一般病院の個室へ移動でしたただ絶対安静だったので尿の管を入れていなければならず私の場合は痛みもあってそれが大変でした

男性の看護師さんが女性看護師が手が空いてなくてごめんねと言ってくれながら管を入れてくれたのが印象的です

こちらはICUに入っていた精神的ショックでそれどころじゃなかったですけど

結局半月以上は入院をしていましたが無事退院出来ました医師曰く運が良かったそうです助けてくれた医療スタッフには感謝しかありません

(東京都 女性)

脈拍停止中にも関わらず声が聞こえた体験

かなり昔の話ですが、東京で仕事中の話です。

いきなりの腹痛に襲われて声も出ないほどの痛み、その場にうずくまってしまいました。

職場の人達が騒いでいるのが、遠く耳に聞こえてはいました。誰かが、救急車を呼ぼうと言っているのも聞こえました。

そしてどのくらい経ったか、救急車な到着したのも周りの声で知りました。

つまりこの時点では意識はあった、自分ではあったんです。

救急隊員が上がってきて、うずくまったままの自分の手を、お腹を抑えていて体の内側に抱え込んでいた手を引き出して、手首を掴んだので脈を測っているなとも、認識していたのです。

そこで隊員の声が聞こえました。

パルスがとれない、やけにはっきり聞こえたのです。パルス、つまりは脈です。脈が無い、要は死亡状態。それでも周囲の音とかはっきり聞こえたんです。

話し声とかやけにクリアに聞こえてました。でも次に気がついた時は病院のERだったので、実は意識がなかったのかもしれません。

脈もないのに周囲を認識できたのは、臨死だったせいで何かが働いたとしか思えません。忘れられない体験です。

(女性)

失いかけた意識から必死に抵抗した体験

三重県の自宅で大学生2年生くらいだったと思うのでちょうど20歳の頃でしょうか寒い冬の夜でした

大学に行ってからフルタイムのバイト終わり家人は買い物に出かけており誰もいない自宅で私は死にかけそしてその死の淵から生還しました後にも先にも死を感じたのはあの時だけです

倒れた先はお風呂場疲労が溜まりに溜まっていた状態でそれでも明日も早いからと重い体を引きずってお風呂に入りましたただ時間をそんなにかけたくなかったのでまさに烏の行水さっさとシャワーを浴びて出てきました

その目眩がしたのです立っていられないほどで私は座り込みました

次に激しい動悸息ができませんでした

寒い冬の夜で身体も冷えてしまうそう思った私は身体を起こしてせめて下着だけでもせめて何か着るものをと思ったのですが立つこともままならず息もできなくぐったりとしておりました

そのままお風呂場の床に倒れてしまい意識がゆっくりと闇に沈んでいくのを感じました

比喩ではなく本当に眠るような闇に包まれていく気持ちでした

段々寒さも感じなくなり苦しさも感じなくなりましたああこれが死か思いました

ただ私はまだうら若き20歳家庭の方針から楽しいことは後回しでまだ何も楽しいことをしていない人生でした死を感じる中で強くまだ生きたいやりたいことがたくさんあってこれから幸せになれるはずなのに思ったのです

この諦めて安寧に身を任せて意識を失っていたらこの世にはいなかったかもしれません

でも私は今意識を失えば危ないと感じそれこそ死ぬ気で抵抗しました

立てなかったので這いずりながらリビングまで向かいストーブの近くまで行きましたそして暖かい部屋のストーブの近くまで行って意識をつなぎとめているとようやく家人が帰宅しひどく驚いた様子の家人に介抱してもらい私は生還することができました

運もありますが生きるにはきっと辛くても苦しくても諦めない気持ちが大切なのだと思います

あの諦めていれば楽に死ねましたが何だかんだ諦めずに生きてよかったです私はその後最愛の人と巡り会うことが出来本当に幸せになって暮らしております以上が私のエピソードです

(東京都 女性)

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