夢枕に立ち私に訴える従兄
私には、兄弟のようにして育った同年代の大好きな従兄がいました。母親同士が姉妹で近くに住んでいたことと、年齢が近いこともあって本当に仲良く兄弟のように育ってきました。
私にとっても大切な大好きな従兄で、大人になってからも子供のころ程ではありませんでしたがみんなで集まったりして昔の様に楽しく過ごしていました。
それが数年前、その大好きな従兄が癌にかかってしまい ショックでしたが、絶対に治そうね!と親族みんなで応援していくつもり一丸となっている最中の本格的な治療の前に従兄は突然入院先の病院で亡くなってしまいました。
私は、大好きな従兄をたった一人で病室にいる際に逝ってしまったこと、まだまだこれからで戦う前だった事の急逝に大変ショックでした。
そんな従兄の葬儀も終わり、49日もすぎたころの夜 寝ていると不思議な夢をみました。
私は夢の中で亡くなった従兄と電話で話していました。
従兄「○○、親父が俺の服の整理をしようとしていて、全部捨てようとしている。全部捨てられるのは悲しい。止めてくれるように言ってくれないか?」と言うのです。
夢の中で私にはオカシイなという感覚は無く 普通に「わかったよ」と伝えていました。
そして目が覚めて、昼ごろ 母になんか不思議な夢をみた・・・・と話したのです。母は、元々霊感が強いところがあり 思うところがあった様ですぐに叔父に電話し、私が夢でみた事を話しました。すると、おじさんはとても驚いた様で丁度従兄の部屋をか片づけていて、洋服はほとんどを捨てるつもりでいたと。でも その話を聞いて、捨てるのは止め 箱に仕舞って保管してくれることになりました。
私はほっとしたのと、本当に捨てられるのが嫌だったんだな・・・亡くなっても頼ってくれた事が嬉しく感じた とても不思議な体験でした。
(神奈川県 女性)
夢枕で妊娠を教えてくれた祖父
昨年、幸せなことに娘を出産致しました。その時に起こったことです。
結婚して少しして子供の事を夫婦で考え妊活をスタートした頃でした。すぐに妊娠できると思っていましたがそうもいかず、「まだかな」と夫婦で話していました。するとある日、私の夢に亡くなった祖父がでてきました。
祖父には結婚の報告はできていましたが、結婚式には残念ながら出席してもらえませんでした。頑固でお酒を飲むと絡み酒になってしまう祖父は、母たちに怒られていたことを覚えています。しかしお酒を飲まなければ、散歩が好きな優しい祖父でした。
亡くなる前には物忘れも激しくなっており、私の事をわかっているのかも曖昧な状態で寂しかった覚えがあります。
そんな祖父がニコニコしながら私の前に立っているんです。
「どうしたの?」と聞くと「そろそろだと思ってたんだよ」と一言話したと同時に目が覚めました。
祖父が夢に出てきたのは初めてで、なんだったんだろう?と思いながらも特に何もせず過ごしていました。
用事があってちょうど連絡をとった仲の良い友人にその話をすると、「それ赤ちゃんできたんじゃない?」と一言。
青天の霹靂です。
慌てて検査薬を試したところ、陽性。私達夫婦に赤ちゃんがきてくれたのです。ただの偶然かもしれません。でも、私は祖父が私に教えてくれたんだなと信じています。
出産後、娘を連れて出産の報告に行きました。
(女性)
夢枕に立つ女性の正体
いつも見る夢は私は小学校くらいから高校までの間、不定期に何度も見る夢があった。
あることをきっかけに、今ではもうその夢を見ることはなくなった。
夢の内容は、家族でファミリーカーに乗りゴルフの打ちっ放しに行く途中、知り合いの1人を迎えにきれいな洋風の家まで行く。
駐車場に車を停めて玄関まで行き呼び鈴を鳴らすと家の人が中からドアを開けてくれ、中に入りお茶を飲みながらみんなで談笑する。
しばらくしてその家のお姉さんも一緒に車に乗り出発する。
少し走ると片側一車線の土手のような道になり、左に向かって大きな弧を描くように緩やかなカーブに差し掛かるのだが、なぜかハンドルを取られ車が横転していくところで目が覚める。
こんな夢をもう何回も見てきた。覚えているのは同じ夢の内容といつも無表情なお姉さんの顔だけ。
高校3年生の夏、祖母の家に行ったとき、母の卒業アルバムを見ようという話になり、私が2階の本棚に探しに行った。家族のアルバムや古い書籍が並ぶ中、母の卒業年ではないアルバムが一冊あり、家族の誰の年代でもない卒業アルバムを開いてみた。
学校風景の後にクラス毎の個人写真があり、次の瞬間全身に鳥肌が立った。
そこにはいつも見る夢のお姉さんが写っていた。しかも夢で見ていた無表情のような顔と同じ。慌てて祖母に確認すると、私が産まれてすぐに病気で亡くなった祖母の姉妹の娘さんだそうで、なぜか卒業アルバムは祖母が持っていた。
いつも見る夢の話をしたが、その娘さんを指したことには不思議に思ったみたいだが、苗字が私たち家族と同じものだったこともあり、まともに取り合ってくれなかった。 それがあってからはもう同じ夢を見ることはなくなった。
今振り返れば、自分の存在を知って欲しかったために私の夢の中で訴えかけていたのかも知れない。
(和歌山県 男性)
今は亡き姉が夢枕に立つ
私の見た予知夢は兄と義姉に関する夢です。私達は、母の病気をきっかけに最近、茨城県内に家を買い一緒に暮らし始めました。義姉と兄は8年ほど一緒に暮らしていますが子供に恵まれず、今も不妊治療を頑張っています。まだ私が母と一緒に暮らしていたころ、大体2年前の話です。兄・義姉夫妻と一緒に暮らしてはいなかったときです。
私は、夜寝たところ不思議な夢を見ました。それは、非常に生々しく現実的な夢でした。
私は突然に兄と義姉が揉めている夢を見ました。義姉は落ち込んでいるというか顔は後ろ向きだったのでよく分かりませんが、やつれた様子で毛布にくるまった状態で座り込んで髪も振り乱した様子でした。兄は、そんな義姉に何かを話しかけていました。
その様子からして、何か説得しているというか諭している様子でした。
近くには薬の袋と飛び出した数錠の薬が飛び出していました。そのシーンで目が覚めました。
怖くなったのはその後の私の行動です。私は起き抜けに母に向かって『お姉ちゃんが夢に出てきて警告してる。兄と義姉さんには子供ができなくて義姉さんは狂ってしまうんだって。』といったそうです。正直、夢での話が直接不妊のこととは関係ないかもしれないのに、そう言ったそうです。
私はその時のことを全く覚えていません。
実はその出来事がある数年前に癌で姉を亡くしています。その出来事があってからというもの度々、姉が兄や母や家族の夢に出てきては警告するといったことがありました。さらに、私がそう言った次の日に兄が来て母に不妊治療の失敗を告げたのです。
母は怖くなり、義姉が狂ってしまうことは言ってないのですが、私が子供ができないと予知したことを兄に言いました。突然の話だったので兄は驚きを隠せない様子だったそうです。
姉が直接夢に出てはこなかったのですが、その後も子供を授かることもなく義姉は精神疾患を患い体調を崩しながら今も不妊治療を頑張っています。しかし、夢で見たことが現実になっていくようで怖いです。
(女性)
亡くなる前夜に夢で会いに来てきれた曾祖母
私は当時中学1年生。一緒に暮らしていた私のひいおばあちゃんが老衰間近であと数日で息を引き取るという時の話です。
幼稚園の時からひいおばあちゃんが好きで事あるごとにひいおばあちゃんの部屋に行きお菓子をもらったりお小遣いをもらったりしていました。いつも戦争中の話をしてくれたり、編み物や折込チラシで色んな物を作ってくれました。
私が小学生になってからも一緒に散歩へ行ったりひいおばあちゃんの部屋でご飯を食べたりテレビを見たり。本当にひいおばあちゃんが好きでした。そんなひいおばあちゃんが99歳の時、どんどん体調も悪くご飯も食べれなくなっていき、家族の介護が少し必要になった時は毛嫌いされていた事もあり、私は可愛そうで何かあればひいおばあちゃんの所へ行き、話しかけやり、ご飯を食べさせてあげたりしていました。そして、とうとうその命も燃え尽きようとした前日。
【亡くなった人が枕元に立つ】と言われていましたが、亡くなる前夜に不思議な体験をしました。
まだ生きているはずのひいおばあちゃんが夢枕に出てきたのです。
ぼんやりとしか姿は見えなかったけど私に道を訪ねてきました。その時、私は一体なんの事か理解できず、道を教えてあげる事も出来ずにひいおばあちゃんはいなくなりました。
するとその日の朝、ひいおばあちゃんは心拍も呼吸もかなり弱くなり、私を含め家族全員に看取られ息を引き取りました。前夜の話をおばあちゃんにすると可愛がっていたから一番最後に会いに来たんじゃないか。
自分が行く道、三途の川がわからなかったから聞きに来たんじゃないかと言われ、私はひいおばあちゃんに何も教えてあげれないままになってしまった事を悔やんでしまいました。
(女性)
夢枕に立つ父
お父さんが亡くなり1周忌を終え、金銭の問題でお墓を建てられない事情もあり、お父さんの実家にあるお墓に納骨をしました。その年のお盆前になると毎日お父さんの夢を見ました。
特になにかするわけでもなく、家でいつものようにいつも座っていたところに座って生前のように大好きな焼酎を飲みながら大好きな下ネタ話をしたりしていました。気味悪さなどはなかったのですが不思議とお父さんなんで家にいるんだろうとは思っていました。
夢を見続けていたときにお母さんからやっぱり近くにお父さんがいないと寂しいし落ち着かないと言い出したのでお父さんの実家に納骨していたお骨を家の仏壇に戻しました。するとその日からお父さんの夢を見ることはなくなりました。
お母さんに実はお父さんが毎日続けて夢に出てきてたんだよと伝え、実家のお墓じゃ落ち着かないから帰ってきたいと思っていたから夢に出てきたのかもねと言われました。ちなみに未だに母の夢にはお父さんが出てくることはないそうです。
それからお父さんの夢を見ることはなかったのですが去年の第3子妊娠発覚時にに1度夢に出てきて私の子どもたちを見て細い目を更に細くさせて笑っていました。
(福岡県 女性)
夢枕に立つ人物の正体
中学3年生の春に交通事故に遭い、3日間ICUにて生死の境を彷徨いました。事故に遭った日の記憶は一切無かったけれど、病室で目を覚ました時に違和感は感じませんでした。事故に遭った、とう感覚だけは残っていたからです。
頭を強く打ち、前頭葉の一部が損傷したけれど日常生活に影響が無いとのことでした。脳の検査も問題無く、IQテストも事故以前より良くなっていたので、家族は安心していました。家族にこれ以上心配を掛けたくなかった私は、事故以降の変化を話すことが出来なくなりました。私は事故以降、人には見ることが出来ない物が見えるようになりました。
はじめに違和感に気付いたのは、退院してい自宅に帰宅した日、マンションの生垣の上に老人が正座しているのを見た時です。生垣に人なんて座ることが出来ないと、見間違いだと思うことにしたのです。けれど、それ以降も生垣で時折老人を目にするようになり、他の場所でも奇妙な人影を目にするようになりました。
多感な時期に、誰にも言えない秘密を持ってしまった私は、自分の中に閉じこもるように。
そんな生活が続き、ある時夢の中に同じ人物が出てくることに気が付きました。見覚えの無い、けれど何故か親しみを感じる、赤い服を着た人物。その人物は時には大人の姿で、時には少年の姿で現れました。それでも、その人物は確実に同じ人物だとういう確信めいたものがありました。そして、その人物は必ず、私が怖い思いをする夢に限って姿を現しました。大人になっても、その人物は夢の中に現れました。
ある日、夢の中で私はその人物を『お兄ちゃん』と呼んでいました。青年の姿をした人物は、私の呼びかけに驚いた顔をして、優しく笑いかけてくれました。目が覚めて、私は自分が涙を流していることに驚き、そして、その時ようやく夢の人物の正体が解りました。
私には、5歳上に兄弟が居る筈でした。まだ若く経済力が無かった両親が、やむ終えず諦めた命があったのです。その話を聞いたのは大人になってからのことで、夢に現れる前のことでした。
生まれなかった命を犠牲にして自分が生まれたような感覚に悩みました。夢に出てきた人物が、その命だったという確証は無くても、私は救われたような気持ちになりました。
生まれなかったことを恨むのではなく、夢の中であっても私を助けてくれたのですから。
今では夢の中でその人物に会えることを楽しみにしています。
(愛知県 女性)