喉が渇くのに水も飲めない状況からの手術
その日は突然訪れました。
さかのぼること10年前、私は当時18歳で広島県の某所で一人暮らしをしていました。
週に4~5日程度コンビニでバイトをしていたのですがある日を境に体調が芳しくなく食欲がなくなっていきました。
病院嫌いだった私は2~3日すればよくなるだろうと思い病院に行かずにそのまま普段の生活を続けました。
ところがある日のことです。
夜勤の出勤前にお風呂に入った直後目の前が真っ暗になって浴室の中で倒れてしまったのです。
少しして動けるようになった私は強烈なのどの渇きにたまらず水を飲もうとしたのですが水を飲み込んだ瞬間に全て吐き出してしまったのです。
この時点ですぐに病院に行くべきだったのですが何を思ったのか私は、そのままバイト先に出勤しフラフラの体にムチを打ちながらなんとか仕事を始めました。
ところが、シフトに入って30分もしないうちに立っていることもままならなくなり最終的に救急車で運ばれる事態となってしまったのです。
診断の結果ピロリ菌による消化管出血で翌日すぐ手術となりました。
たまたま家で倒れずバイト先で倒れた為助けてくれた同僚がいて事なきを得ましたがこれが一人で自宅にいたときだと思うとぞっとします。
今回の件で得た教訓は体調が優れないときはすぐ病院に行くということです。私のような経験をする人が少しでも減ることを祈っています。
(島根県 男性)
怠い体調不良から大量の吐血からの生還
私が40歳の時でした。
夜勤中にどうも調子がおかしいなと感じましたが、新人さんとの夜勤だったので、自分が頑張らないとどうにもならない、と言い聞かせ10時までに何とか業務を終えることができました。
帰宅の準備を行い、怠いけれど家に帰って子供の顔を見たいとなんとか着替え帰宅しました。
冬休みで自宅にいた子供の顔を見るとホッとすることができました。
ひと寝入りし起きようとすると気持ちの悪さと胃の痛さがあり、慌ててトイレに駆け込みました。
なんと大吐血でした。
見る見るうちに自分も床も真っ赤になり、吐いても吐いても止まることなく出血します。これはいけないと考え、子供の名を呼び助けを依頼。
近所に住んでいた上司を呼んできてもらい病院や救急車の手配をしてもらいました。
子供が付き添ってくれ救急車に乗ったまでは覚えていますが後の記憶はありません。
運よく胃カメラのできる医師が在中していてくれ、処置を行ってくれました。
仕事の様々なストレスからの胃潰瘍にのよる大吐血で3つ穴が血管の上に空いていたそうです。
本来なら、医師が不在な時間に居てくれたこと、吐血時子供が家にいて走ってくれたこと、上司が近所にいてくれたことが幸いして命を取り留めることができました。
(長野県 女性)
胃の不調から胃腸炎と診断されたが、まさかの病気だった
私が体験した九死に一生体験は、今から24年前のことです。
私はその当時、栃木県内の特別養護老人ホームに勤務していました。
私が勤務していた福祉施設の道を挟んだ向かい側に、整形外科のクリニックがありました。
だから最初は「胃が不調な感じがするな。食欲がないな。」と思っていました。
それで整形外科のクリニックで胃薬を処方してもらい飲んでいて、その後も胃の不調を感じていました。
そして職場の向かいの整形外科クリニックではなく、内科に行ったら胃腸炎と診断されました。
その夜に腹痛が我慢できないほどの痛みになり、「これは何か変だ!!」と思いました。
私の母が盲腸で手術をしていて、「盲腸は押して手を離す時に痛みを感じる」と言っていたのを思い出したのです。
私もやってみたら、というまさにその通りでした。
盲腸になったのに違いないと思いましたが、私は一人暮らしをしていたので救急車を呼びました。
そうしたら、やはり盲腸で腹膜炎を合併していました。
盲腸が破裂をしてから48時間以上経過していて、手術をしてくれた大学病院の先生は「奇跡の生還」と言われました。
盲腸から回盲弁の方まで炎症が広がっていて、私が若かったので回盲弁は残したと話していました。
盲腸も初期症状は胃の不快感や食欲不振の症状だそうです。でも、手遅れになれば命を落としてしまうこともあります。
私の恐怖体験から、誰かの参考になる体験として少しでも役に立ってくれたらいいな、そう思いました。
(栃木県 女性)
収まらない腹痛からまさかの診断結果
学生時代、下宿先で体験した話です。
単なる腹痛と思い4日程放置していたところ、一向に痛みが治まらないので病院へ。
検査するなり「親を呼ぶように」とのこと。
親に連絡するが「病院を手配しておくから帰って来い」とのこと。
22時くらいの新幹線で名古屋まで、名古屋から病院までタクシーで1時間。
病院に着きすぐに緊急手術。
その時点で、既に腹内で破裂し腹内に膿が、2週間入院して退院。
それから社会人になって2年から3年経った頃、食事を満腹になるまで食べると必ず腹痛がおきるようになり、初期はそれ程でなく酒を飲むと痛みが治まる状態となった。
ところが回数が増す毎に痛み酷くなり、また酒を飲むとその酷い痛みも治り放置。
ところがある日酔って寝てしまい、目が覚めた途端七転ハ倒、急遽病院へ。
簡単な検査を受けた時点では「覚悟を」、それから詳細な検査を受け「腸閉塞と腸捻転」と判明。
再度緊急手術となり、小腸の壊死した部分を1m程切り取り絡みあった小腸を元に戻し一命を取り留める。
当然腹部内に膿が散り1ケ月程入院。
酒の麻酔性で痛みが消えるので、その病気を軽く見て放置したのが悪化させてしまった原因とのこと。
しかしながら大元の原因は学生時代の急性盲腸炎の放置、以後も腸捻転を起こしやすくなり3度程手術をうけこととなってしまった。
(三重県 男性)
名医の一言のおかげで九死に一生を得た体験
10年ほど前に潰瘍性大腸という難病で入院していたときの話です。
潰瘍性大腸炎は難病で、大腸に炎症が発生する原因不明の病気で、壮絶な痛みと絶食で生き地獄でした。
入院して1か月半ほどたった頃、症状が落ち着いてきたことに調子に乗った私は絶食中にも関わらず、売店でおにぎりやパンなどを買って食べてしまいました。
ここから急激に悪化し、炎症は広がり、さらには大腸が破裂寸前な大きさになってしまったのでした。
あまりの痛さにベッドの上でのたうち回りました。
このときの痛みは想像を絶するものでお腹を刃物で刺されているような痛みでした。
やがて医師が何人もやってきて、「炎症が広がり、ガスがたまって腸が破裂寸前です。すぐに手術をしないと死んでしまう。」と言われました。
やがて術前検査やらでバタバタしている中、すでに痛みで意識を喪失しかけていた私に全く知らない医師がやってきて耳元でこうささやきました。「体を横に動かしてごらん。」まさかそんなことで事態が好転するとは思わなかったのですが、指示通り横臥したところ、たまっていたガスが抜けていき、先ほどとは見違えるほど楽になったのです。
その後の検査で、パンパンに膨らんだ腸は元の大きさに戻り、1か月ほどで退院できたのでした。
あの医師がいなかったら私は人工肛門になっていたことでしょう。
あの医師にはとても感謝しておりますが、いったい誰だったのか今でもわかりません。
(愛知県 女性)