お寺で見た不思議な光の玉
名古屋にある実家の近所で起きた出来事です。僕が中学生の頃(8年程前)、友達とよく夜遅くに怪しげな場所を巡っては霊に会えないかとブームがありました。半年程続けていましたが中々会えず飽き飽きしていたところ、僕が最寄りの駅から実家に帰るまでの道中で小さなお寺があり、そこでよく不思議なものを見ることを思い出しました。
ほんとに物心つく前からそこを通る度に、小さな白い光の玉が見えていました。最初は虫かもしくは何かが反射しているだけだと思ったのですが、虫にしては大き過ぎるし毎回見えるので(1度通ると見えなくなる)、あれは霊の類いに違いないと確信していました。
元々家族全員霊感が強く、母親に関しては見えすぎるくらい見えていたので自分にもそういう素質があるんじゃないかというのも理由の1つでありました。その事を思い出した僕は友達に話し、その場所へと向かいました。
そしてそのお寺に着くと僕はいつものように見えていたので友達に「今見えたでしょ!?」と聞くと、「何も見えなかった」と答えられました。
やはり霊感がある人じゃないと見えないんだと思い、友達にも残念だったねと笑ってその場は解散しました。
そして実家に帰ってからが大変でした。帰って玄関に入った途端、弟が土鍋を割り手を怪我したのです。そして覆い被さるかのように僕は財布を失くしたことに気付き、父親は目の病気を患ってしまいました。
母親も何か察したのか家族全員に清めの塩を持たせてくれました。あの日友達と霊をからかいに行ったせいで家族に不幸が訪れました。偶然が重なっただけかと思ったのですが後日、そのお寺を通ると白い玉はそれっきり見えなくなっていました。
(東京都 男性)
怪談話の時に起こった不思議な音
10年前にお寺行事で廃校でスポーツ大会に参加した夜、御講師から怪談話を聞きました。
私の通うお寺は夜になると誰もいないのに人の気配がするなど、けっこう怪談のネタが豊富なのです。
その御講師はお寺の夜回りに行ったとき、1Fのホールの電気が消えているのを懐中電灯で確かめていたそうです。その時、ドンドンドンと大きな音が鳴ったそうです。もう1人の御講師も一緒に巡回していたそうですが、音を出したか尋ねたらどうやらその御講師ではなかったようです。
お寺にいる幽霊は元々そこの信者さんで、生前お世話になったお礼がしたくて来ているとのことでした。しかし、元信者さんとはいえ夜に音を立てるとその場にいた御講師でなくても、驚きだけでなく恐怖の境地に至るでしょう。そして、話を終えた瞬間宿泊していた部屋の明かりがいきなり消えたのです。
心霊体験や幽霊やオバケに全くの耐性を持たない私にとっては、御講師の体験談よりもよっぽどその現象が怖かったのが、未だに覚えています。
あと、もう1つ怪談を聞いたのですが、謗法となる日本人形をお焚き上げするまで預かっていた時、その日本人形の髪が日に日に長くなるという話で、むしろこちらのほうがよくある話だなと思いました。
(女性)
お経の時に見えた不思議に浮かぶ梵字
京都にある由緒と歴史のある大きな寺社での話。
昔から寺社は凄く好きで、良く手を合わせに行かせてもらっています。そこのお寺は普段なかなか入らなかったので、久しぶりに行ってみようと思い入って行きました。その日は偶々、何かの集会の日でして、全国から信者さんが集まってきてお堂は参拝者とお寺関係のお坊さんだらけでした。
私もそれに紛れてお堂の中に入り手を合わさせてもらい、少し観音さんとお話ししようと思った時に空に浮かぶ1人の、多分40代後半の男性が現れました。
袈裟をかけ、クロっぽい衣装で胡座を書かれていて合掌の格好で此方を見ています。「この方は誰だろう?」っと思い本人に尋ねてみると、見たこともない文字(多分梵字)が見えてきました。
またその字が相当大きく、その男性の周りをグルグルと回りだしました。これはお経を唱えてるのだな?と思い暫く眺めていたら心が落ち着き、何かスッと気持ちが楽になりました。凄く不思議な感じだったのを覚えてします。
始めてお会い出来たと思うのですが多分親鸞上人だったと思います。会話は出来ませんでしたけど、お会いできて嬉しかったです。別の方は良くお会いし会話出来るのですが、催事ごととあり中々難しかったのかな?っと思います。
また日を改めて手を合わせに行かさせてもらおうと思っています。是非京都に来られたなら、皆さんも観音様に手を合わせて心穏やかになって頂きたいと思います。もしかしたら親鸞さんに会えるかも?!っとの事で、この話は終わらせて頂きます。有難う御座いました。
(男性)
撮影しても真っ白くなってしまった不思議な現象
5年ほど前、奈良県の大峰山でのことです。金峰山寺という由緒あるお寺の僧侶(修験の行者さん)の先達で、水行や登山などの修行体験させて頂く機会がありました。
体験はそれなりに厳しいものでしたが、行者さん始め同行の方たちとのふれあいもあって、修行後は悟りを得たとはとても言えませんが、何かとても清々しく感謝に溢れた素晴らしい気持ちになれたことを覚えています。
不思議体験は確か天龍寺というお寺だったと思うのですが、デジタルカメラでお堂の前に立っている先達の方(修行をかさね、得度されている)が入るアングルで撮影したところ、画面が真っ白になり何も写りませんでした。カメラが故障したのか?と思い、その後駐車場に移動したときに再度シャッターを押してみたところ、今度は通常に作動したので、さっきのは何だったんだろう?と不思議に思いました。
その先達の方に話したところ、写そうとしたお堂のエネルギーが強いためだというようなことを仰っていました。確かにご神気溢れるというか、とても清浄で厳かな雰囲気の場所でした。
ほんとの聖地というところは、撮影してはいけないものなのかなと感じました。良いものにしろ悪いものにしろ、何かしら霊的な気が強い場所では電子機器などはまっさきに支障をきたす、という話も聞いたことがあります。
(滋賀県 女性)
鈴虫寺に行き、災害から逃れられた不思議な話
京都にある超有名な鈴虫寺と言う神社があります。1995年1月17日それはあの忘れもしない阪神大震災があった日ですが、実は当日私は京都のホテル滞在中でした。
当時は目の前の京都駅の電車が動いていない事とホテルの一部が破損した位で、震度5はあったと思いますが関東出身の私はある程度地震に慣れていた事もあり、TVでの情報もまだそこまで報道されなかったので時間が経つに連れて被害の大きさともしかしたら私達も命を落としていたかも知れないと思うと、今でももしかしたら偶然かも知れませんがあの神社で頂いたお守りのおかげかなとも思います。
そう私達は前日に京都の友人に絶対に連れて行ってあげたい所があると鈴虫寺に連れていってもらしました。
お坊さんのお話もユーモアあり且つ、神社系はインスピレーションで合う合わないがなんとなくある気がいつもしてるのですが、とても心地良かった事を今でも感じた場所でした。
そこで黄色いお守りを貰って帰りました。お願い事はひとつだけして下さいと確か言われた記憶があります。翌日実は神戸に行こうと思っていたのですが、当日京都でイベントがあり大変疲れてしまったので、朝起きたら神戸に行こうと思ってその日は京都駅の近くに急遽ホテルを取りました。そしたら、翌朝・・・。
今でも鈴虫寺のお願いごとのおかげかなと思ってます。何故なら、無事に何事もなく帰る事が出来ますように・・。とお願いしたからです。
(大阪府 男性)
お寺で見た、子どもの霊
東京都町田市にあるお寺での体験談です。
今から20年以上前になりますが、小学校までの通学路の横にお寺がありました。通学路といっても近くに住む子供がショートカットのような感じで通るもので人通りは昼間でもほとんどありません。
あれは小学校4年生の時ですが、下校中の16時頃にお寺に差し掛かりました。その日は曇天で今にも雨が降り出しそうで、ちょっと紫がかったような空模様の日です。
お寺に向かう通路の入口に小さなお地蔵様が6体ならんでいるのですが、その前に小さな男の子がしゃがみ込んでいました。体操服で紅白帽を被っていたので顔はよく見えません。しかし、その地域でそのような子はみたことがなかったので誰だろう?何をしているのだろう?と思って「どうしたの?」と声をかけてみました。その瞬間、ちょうど雷が鳴って青く光ったのを覚えています。目を背けたのは一瞬だったはずなのですが、目の前から男の子がいなくなっていました。
その通路はお寺までの一本道なので他に進むところはありません。お地蔵様の後ろにでも隠れたのかなと思い、あたりを探しましたが男の子は見つかりませんでした。そのとき、なんとなくお寺が気になってしまい、その通路を進みお寺に向かったところ、人の気配が全くなくまるでどこか別の場所に迷い込んだような感覚に襲われました。
子供ながらにちょっとまずいかもと思い振り返ろうとしたところ、本堂の裏のほうに人影が見えました。本堂の裏はお墓が立ち並んでおり、様子を見に行ったところ穴を埋めているようで中に手のようなものが見えました。あわててきた道を戻り家に帰って祖母にその話をしました。すると、祖母はお寺に電話してくれましたが、そのような事実はありませんでした。
うちは代々お寺の世話人をしているため、後日住職にあった際にきいたのですが、戦時中に空襲で多くの人が亡くなり、ろくに埋葬もできない状態だったそうです。そのためか埋葬する人の霊を見る人がたまにいるとのことでした。
殺人現場だと思ったものは霊による死者の埋葬であったと知ったときは少し切ない気持ちになりましたが、子供ながらに恐怖の体験でした。
(東京都 男性)