後数時間遅かったら危険な状態だった体験談
わたしが高校生の頃ですが、 一度死にそうな経験をしたことがあります。友達と自転車で近くのショッピングモールに遊びに行ったときのことです。
時期はちょうど6月でしたが、晴れていて少し汗ばむ陽気でした。とくに朝から調子が悪かったということもなく、いたって元気に遊んでいました。
お昼になってショッピングモールのフードコートで友達と何を食べようかと話しているときに事件は起こりました。
友達に話しをしていたとき、突然目ん玉が上を向いてしまいそのまま意識が朦朧として倒れてしまいました。突然のことで友人がとても慌てていたことだけは感じていましたが、目の前は真っ暗で耳も遠くなっていきました。
すぐに友達が救急車と母親を呼んでくれて大きな病院に運ばれて行きました。視覚も聴覚もままならない中、意識だけはなんとかあり集中治療室で一晩過ごしました。
ハッキリと意識が戻り、視界がハッキリしたのは次の日のお昼だったと思います。その後一週間の入院ですっかり元気になりました。
色々な検査をしたのですが、結局原因はわからずじまいでした。
しかし唯一言えることは、お医者さん曰くあと少し通報や治療が遅かったら一生の障害を負っていたか命に関わっていたそうです。
(愛知県 女性)
肺気腫で九死に一生体験
神奈川県横浜市に住む40歳です。私は今から17年前の22歳の時に、九死に一生の体験がありました。当時の私はトラック運転手をしており勤務先まで原付バイクで30分ほどの距離でした。
いつものように勤務先に向かって原付バイクで走っていたところ、急に息が苦しくなりました。きっとバスや大型車両の後ろを走って排ガスをすったので苦しくなった、一時的なものだと考えていました。しばらくすると今度はもっと息が苦しくなり、原付バイクを止めて休んでいました。
少し症状が軽くなった気がしたので急いで病院に行こうと思い家に帰り家に着くなり青白い私の顔を見て、救急車を呼ぶか聞かれました。
救急車を呼ぶと目立つし後で近所で話題になるのが嫌だったので断り、親の車で緊急外来に向かいました。
病院に着くなり普通ではない雰囲気を感じた看護師さんが車イスを用意してくれて、そこに座り外来受付の一番前まで案内されました。
ここで私の記憶が一旦途切れ、次に意識があったのはなんと手術中でした。
意識がない間、白い霧の中を歩いているような夢?を見ていました。その最中に「しっかり!!意識をしっかり持って!」という手術中の医師の一言で意識を取り戻したのです。
病名は肺気胸という肺に水がたまってしまう病気らしいですが、私の場合はなぜか肺に血が溜まっていたために起きたようです。
後で聞いた話ですが手術の際に背中から肺の辺りを切開したときに、出血が多く一時危険な状態だったと聞きました。
今思えば、あの白い霧の中を歩いていたのはその前兆だったのかと思うと怖くなりました。まさに九死に一生を得た体験でした
(神奈川県 男性)
原因不明で危険な状態からの生還体験
私が最初に九死に一生を体験したのは、中学2年生の冬休み中でした。その日まではごく普通に家族と楽しく過ごしていましたが、夕方になってから調子がどんどん悪くなり、テレビを見ないで寝よう、と廊下を歩いていたら前触れもなくその場で倒れました。
音に気が付いた父親は私の様子がおかしいことに慌てていながらも救急車を呼んで家から離れた病院に私は緊急搬送されました。そこで告げられたのが、脳貧血でしかも一歩遅れていたら心筋梗塞だった、と。点滴で2時間掛かりましたが、効いたのか体調が良くなり無事に家に帰ることができました。
後に内科で診察を受けて診断されたのが、副交感神経失神で完全には良くならず、自分で気を付けるしかない、と先生に言われました。
次に体験したのは成人してからです。今から数か月前に激しい倦怠感と胸部の痛みが続き、脈拍も3桁になるなど体調が悪い日が続き、しまいにはまた失神しかけたりして病院に行き、そのまま入院したとき、激しい目眩がしてベッドに倒れこんだこともありました。
そのときは痛みがひどかったので、食欲もなく栄養状態が悪い、としか言われなかったのですが、詳しい検査をしたものの原因不明としか言われませんでした。
よくよく考えたら人間は何が起こるか予測できないし、生きている中で九死に一生を体験するんだな、と思いました。
(宮城県 男性)
突然起こった立ち眩みの恐怖 無事生還
今から8年くらい前のお話です。
私は血圧がとても低く、そのため以前は立ちくらみが酷かったです。
特に疲れていたりするとフラフラしてしまう状況でした。
その日は仕事帰り、私は疲れた状態でスーパーで買い物をしていました。記憶があったのはそこまで、次の瞬間目の前が真っ白でした。
起きたらそこは病院のICU。
私は立ちくらみで倒れて頭を強く打って救急車で運ばれていたのです。
起きてすぐ看護士さんが気が付いて近寄ってきましたが、私の第一声は「吐きそう」でした。
頭を打った人は吐くとよく言われますが本当なんですね。
その時にこのまま目覚めなかったら手術をするところだと言われました。
しばらくICUにいた後は一般病院の個室へ移動でした。ただ、絶対安静だったので尿の管を入れていなければならず私の場合は痛みもあってそれが大変でした。
男性の看護師さんが、女性看護師が手が空いてなくてごめんねと言ってくれながら管を入れてくれたのが印象的です。
こちらはICUに入っていた精神的ショックでそれどころじゃなかったですけど。
結局半月以上は入院をしていましたが、無事退院出来ました。医師曰く運が良かったそうです。助けてくれた医療スタッフには感謝しかありません。
(東京都 女性)
脈拍停止中にも関わらず声が聞こえた体験
かなり昔の話ですが、東京で仕事中の話です。
いきなりの腹痛に襲われて声も出ないほどの痛み、その場にうずくまってしまいました。
職場の人達が騒いでいるのが、遠く耳に聞こえてはいました。誰かが、救急車を呼ぼうと言っているのも聞こえました。
そしてどのくらい経ったか、救急車な到着したのも周りの声で知りました。
つまりこの時点では意識はあった、自分ではあったんです。
救急隊員が上がってきて、うずくまったままの自分の手を、お腹を抑えていて体の内側に抱え込んでいた手を引き出して、手首を掴んだので脈を測っているなとも、認識していたのです。
そこで隊員の声が聞こえました。
パルスがとれない、やけにはっきり聞こえたのです。パルス、つまりは脈です。脈が無い、要は死亡状態。それでも周囲の音とかはっきり聞こえたんです。
話し声とかやけにクリアに聞こえてました。でも次に気がついた時は病院のERだったので、実は意識がなかったのかもしれません。
脈もないのに周囲を認識できたのは、臨死だったせいで何かが働いたとしか思えません。忘れられない体験です。
(女性)
失いかけた意識から必死に抵抗した体験
三重県の自宅で、大学生2年生くらいだったと思うので、ちょうど20歳の頃でしょうか。寒い冬の夜でした。
大学に行ってから、フルタイムのバイト終わり、家人は買い物に出かけており誰もいない自宅で私は死にかけ、そしてその死の淵から生還しました。後にも先にも、死を感じたのはあの時だけです。
倒れた先はお風呂場。疲労が溜まりに溜まっていた状態で、それでも明日も早いからと重い体を引きずってお風呂に入りました。ただ、時間をそんなにかけたくなかったので、まさに烏の行水、さっさとシャワーを浴びて出てきました。
その時、目眩がしたのです。立っていられないほどで、私は座り込みました。
次に激しい動悸。息ができませんでした。
寒い冬の夜で、身体も冷えてしまう。そう思った私は、身体を起こしてせめて下着だけでも、せめて何か着るものをと思ったのですが、立つこともままならず、息もできなくぐったりとしておりました。
そのままお風呂場の床に倒れてしまい、意識がゆっくりと闇に沈んでいくのを感じました。
比喩ではなく、本当に眠るような、闇に包まれていく気持ちでした。
段々寒さも感じなくなり、苦しさも感じなくなりました。ああこれが死か、と思いました。
ただ私はまだうら若き20歳、家庭の方針から楽しいことは後回しで、まだ何も楽しいことをしていない人生でした。死を感じる中で、強く、「まだ生きたい、やりたいことがたくさんあって、これから幸せになれるはずなのに」、と思ったのです。
この時、諦めて安寧に身を任せて意識を失っていたらこの世にはいなかったかもしれません。
でも私は今意識を失えば危ないと感じ、それこそ死ぬ気で抵抗しました。
立てなかったので這いずりながらリビングまで向かい、ストーブの近くまで行きました。そして暖かい部屋のストーブの近くまで行って意識をつなぎとめていると、ようやく家人が帰宅し、ひどく驚いた様子の家人に介抱してもらい、私は生還することができました。
運もありますが、生きるにはきっと、辛くても苦しくても諦めない気持ちが大切なのだと思います。
あの時、諦めていれば楽に死ねましたが、何だかんだ諦めずに生きてよかったです。私はその後、最愛の人と巡り会うことが出来、本当に幸せになって暮らしております。以上が私のエピソードです。
(東京都 女性)