リュックサックのおかげで大きな怪我にならなかった体験談
25年前、栃木県で交通事故に遭いました。私はまだ子供だったので友達と鬼ごっこをしていて、私が道路に飛び出したところを猛スピードで走ってきた車に跳ね飛ばされました。
私は遠足の帰りで背中にリュックサックを背負っていて、背中から地面に叩きつけられて、リュックサックがクッションとなり、私は足を打撲しただけで事なきを得ました。
助かってよかったと思うのですが、あの瞬間確かに私は生きるか死ぬかの瀬戸際でした。命が失われるかどうかという瀬戸際に私の脳みそはとても興奮を覚え、命をかけるスリルに快感を感じるようになり、大人になった現在はスカイダイビングやバンジージャンプなどの命をかける遊びにはまり、これを趣味としています。
ただ、あの日のことは時々思い出します。交通事故で死亡する人間がたくさんいる中幼い私が生き残った意味を考えることがあり、きっと私は生きて何かをするために、運命に生かされたのだろうなと思いました。
残りの人生を有意義なモノにし、自分にとって..あるいは他人にとって役に立つなにかをしようと考えています。最期を迎える時にあの時助かってよかったな..精いっぱい生きたなと胸を張って死んで行けるように悔いの少ない人生を目指して頑張ろうと思います。
(栃木県 男性)
衝突した車が突っ込んできた体験談
真冬、北海道札幌市すすきのでの飲み会の帰り道。車の通りもまばらな深夜。冷たい夜風に吹かれ酔いを冷ましながら歩いて帰宅していました。それは自宅まで数百メートルほどの交差点で起こりました。
ほとんど車通りがなかった車道に突如、猛スピードでタクシーが青信号に直進してくるのと同時に左側から乗用車が現れました。
一瞬の出来事です。
乗用車がタクシーの後部に激突し、氷の路面を滑ってこっちに突っ込んできました。あまりの速度に避けることもできず、空間のスピードが遅く感じる現象を体感しました。スローモーションです。
人生終わったな、と思い、眺めていると…なんと目の前でタクシーが縁石にぶつかりひっくり返ったのです!まさかの展開でした。
たまたま交差点から2メートル手前に立っていたのが幸いし、ひっくり返ったタクシーは私との距離は数センチのところでストップ。私は無傷で助かりました。今でも冬になると思い出す、貴重な体験です。
(北海道 男性)
あと数センチずれていたら
今から30年くらい前の、私が小学校5年生の時の体験談です。
その日、家族と車で出かけるため、家の前を走る道路を、左右確認してから、勢いよく走って渡りました。家の前が道路のため、歩けば10歩くらいのところに押しボタン式の信号機があるのですが、田舎道なため見渡しもよく、いつも信号機を使わずに渡っていました。それが命取りだったんです。
出かけることに浮かれていた私は、道路の片側半分までたどり着き、反射的に何かを避けるように後ろにのけ反りました。次の瞬間、「ビリッ」という音とともに「ヒョン!」という音が。驚く間もなく軽トラックが走り抜けて行きました。
我に返り、服を見ると、お腹の辺りが無残にも破けており、体はケガすることなく無傷でした。
今考えても、もしもお腹まで…と考えると生きた心地がしません。でも今思い返しても、なぜあのとき左右を確認したのに軽トラックが見えなかったのか、走ってる途中になぜ身を引いたのか全然わかりません。でも一番わからないのは、そのまま走り去っていった軽トラックですよね。
(新潟県 女性)
死角の危険性
今から16年前の出来事です。まだ小学校2年生だった私は、ピアノを習っており、レッスンに向かう途中でした。いつもは母親と妹と車で向かうことが多かったのですが、その日は母がレッスンに行く前に包丁で指をケガしてしまったので、運転が出来ませんでした。そのため仕方なく一人で歩いて行くことになったのです。
車の通りが多い道路に着くときに友達に会いました。そこでどこにいくのなどの会話をして別れ、私はその直後に事故に遭いました。
横断歩道につき、左右を確認して渡ったつもりだったのですが、すぐ側にあるコンビニからバイクが出てきました。カーブのため幼い私には見えなかったのです。バイクはその先にある坂を登るためにスピードを上げたところでした。
ドンッ!と思いっきりぶつかり、気づいた時には宙に浮いており、3メートルほど飛ばされて、反対車線まで行きました。
私はそのまま顎から着地し、その直後、飛ばされた車線を走っていた車は私を避けて通りました。レッスンバックにははっきりとタイヤの跡があります。
不幸中の幸いですが、打ったのは顎のみで立つこともできました。すぐに救急車で運ばれて検査を受けましたが、歯が欠けた程度で、異常はなくその日のうちに帰宅できました。
幼い子供が横断歩道に居るときは、そんな時でも車やバイクには止まって欲しいと願います。
(千葉県 女性)
トラックに撥ねられ九死に一生
私がまだ幼稚園の頃で、近所が区画整理などで、幹線道路が出来始めた頃でした。その幹線道路を通らないと公園や駄菓子屋には行くことが出来ないため、よく渡っていました。
私には兄がいたんですが、兄はそこを颯爽と渡り公園へ。
自分も行けるだろうと1人で幹線道路を渡ろうとしたら、4tトラックが右側からやってきて撥ねられました。普通ならそこでタイヤに巻き込まれたりするのですが、偶然にもトラックの中心に当たり、綺麗にタイヤとタイヤの間に入り、トラックが通り過ぎて行きました。
擦り傷が全身にありましたが、骨折や打撲もなく命に別状はなし。まだ幼稚園で一人では行ってはいけないって言われていたので、渡ったことがバレてお母さんに怒られる事ばかり考え、その場を走って帰ろうとしたそうです。
たまたま目の前の電気屋さんのおばあちゃんが知ってる人で、通報してくれて、救急車で病院の行きました。
一応検査入院で1日だけ入院して帰宅。のちに警察の調書で本当に奇跡ですって言われました。もう40を過ぎましたが未だに言われる出来事です。
(愛知県 女性)
フロントガラスにぶつかり吹き飛ばされた!
今から20年ほど前に交通事故に遭った時の話です。当時友人達とダンスチームを組んでいて、夜はみんなで集まり練習をしていました。
ある日いつものようにバイトが終わった午後23時くらいに集合場所に行こうと横断歩道を渡ったらスポーツカーに撥ねられました。私は意識を失い、道路に倒れてしまったようです。
意識が戻った時は、まるで眠りから覚めるような感覚だったことを覚えています。
ぶつかった時は何があったか全くわかりませんでした、通りすがりの人が通報してくれたようで、声を掛け続けてくれました。私は意識を取り戻し、起き上がろうとすると周囲の人たちが「動いたらだめ!」と言われました。どうやら車のフロントガラスにぶつかり、その衝撃で飛ばされたようです。
救急車が到着し、検査と手当を受け、医師からは「打撲しかしていないし、事故で生きている事が奇跡で、普通なら即死だよ。」と言われました。どうやらダンスを長年していたおかげで体が柔らかくなっていたことが幸いしたのかもしれません。今思うと怖い体験です。
(兵庫県 女性)
真っ暗いトンネルの向こうに見える光
私が小学生の時の体験談で今から40年前の出来事です。
私が住んでいた家は国道沿いに建っており、母は床屋、父は自動車整備工場を経営しており、2歳上の姉と4人暮らしでした。ある日、私が学校から帰宅すると、母と姉が学校行事の合宿の準備をしており、それを側で見ていた私に合宿で足りない物を買いに行くよう頼まれました。
家を出た次の瞬間に「ドン!」という音が聞こえたと母が言っていました。
私は横断歩道を渡らず、家の前の国道を渡ろうとしたら車に撥ねられてしまいました。私は10m飛ばされたと聞きます。それから救急車で運ばれましたが、全く意識が戻りませんでした。意識がない間は真っ暗な洞窟のような場所を一人で歩いており、先の方には明るい光の場所があり、そこに向かって歩けばいいんだと思い歩いていました。
突然、後ろの方で私を呼ぶ声が聞こえ、振り返った瞬間ベッドの上にいました。
脇には母と祖母がいて、意識が戻らず医師からは名前を呼ぶように言われていたらしく、ずっと私の名前を呼んでいたようです。すでに事故からは3日経っていました。
もし名前を呼ばれていなければあのまま光の方向に向かっており、この世にはいなかったと思います。
その後は1ヶ月程で退院できました。
(宮城県 女性)