高校の修学旅行でガマに行った時の体験談
これは今から7年前、私が当時高校2年生だった頃のお話です。私達の高校は修学旅行で沖縄県に行きました。2日目に沖縄県の戦争の跡地であるガマと呼ばれる場所を見学しました。
ガマは、戦争の時に防空壕として使われていた場所です。その場所には、今でも処理されていない遺体があるとガイドの方はおっしゃっていました。
その見学後の夜に事は起きました。私と友達を含めた3人で、その日のことを振り返っていた時でした。私の友達の1人が突然何も話せなくなり、いきなり涙を流し始めたのです。その友達は、普段周りに涙をみせることはないですし、むしろ地元では喧嘩が強いと噂になっていた程です。しかも、もう1人の友達は霊感が強いのですが、突然寒気がするといい始めて布団の中に隠れてしまいました。
私には何が起こったか分からなかったのですが、明らかに部屋の電気が暗くなっていました。
それから数分後に明かりは元に戻り、泣いていた友達も泣き止みました。次の日、霊感の強い友達が言っていたのですが、あのとき友達の背後に女の人が見えて、僕らに何かを言っていたそうです。今でもこのことは覚えていますが、誰も口にしていない話です。
(東京都 男性)
防空壕にいた男の子
高校の修学旅行で体験した話です。私の学校の修学旅行では、東京、大阪、京都、奈良、沖縄の5つの場所を回るプランになっていました。その中でも一番楽しみにしていたのが沖縄です。初めてという事もあり、とてもわくわくしていました。
沖縄での宿は思っていたより古めのホテルで、1部屋が大部屋で、同じグループの6人が同じ部屋でした。私ともう一人の友達が少し霊感があり、部屋に入った瞬間に何か嫌な感じがしました。
二人とも思っていたのですが口には出さず、みんなで写真を撮ろうという話になり、写真大会が始まりました。何枚か撮っていると、全ての写真にオーブが写っていたのです。「なんか不気味だね」と言いながら写真をチェックしていると、その中の1枚に白い顔のようなものが写っていたのです。全員が怖くなってその写真はすぐ削除しました。その日はみんなでくっついて寝ました。
何事もなく無事に朝を迎えてほっと一安心です。その日はひめゆりの塔にいく予定でした。
現地について、私と霊感のある友達は嫌な空気を感じながらもみんなと一緒に資料館に向かいました。ですが、入ろうとした瞬間にとてつもなく具合が悪くなり、私と友達は入れません。二人で外で待機していたのですが、すぐ近くには防空壕がありました。するとなんと、男の子が防空壕の上に座ってこちらに手を振っているのです。びっくしりて友達と顔を合わせ、振り返るともう男の子はいませんでした。
楽しみにしていた沖縄でしたが、少し怖い思い出になってしまいました。
(神奈川県 女性)
ガマで倒れてしまった友達
私が中学生の時に沖縄に修学旅行に行った際に体験した不可解な出来事をお話ししたいと思います。
私の友達に元々霊感を持っている子がいたのですが運悪く霊を惹きつける体質だったのです。沖縄旅行の目的は戦争で被害にあった場所を周るというものだったのですが、その中でもガマと呼ばれる防空壕のような場所があり昔はここで怪我をした人が運ばれ治療をしていたというお話を聞かされました。
やはり不衛生で治療も虚しく亡くなる方がほとんどだったそうです。そのお話が終わったあとに実際に入ることになったのですが、友達は寒気がしその場に倒れてしまいました。
突然のことで皆驚いたのですが、とりあえず安静とのことでその子以外で入ることになりました。その時に私たちには特に異変はなかったのですがホテルについてから不可解なことが起こったのです。
海辺が見える部屋だったので綺麗だねなど言いながらはしゃぎつつ写真を撮っていたのですが何枚撮っても友達の顔が歪むのです。
最初はブレたのかなと思っていたのですが白いオーブと歪みが消えず先生に相談しに行ったのです。気にするなと言われたのですが私はこの部屋で寝たくないなというのが本心でした。
旅行が終わり何事もなく過ごしていたのですが、その友達と神社に行く機会があり掃除をされていた神主さんに挨拶をした所すごい嫌な顔をされて何事かな?と思っていると早くお祓いをしに行きなさいとだけ言われました。
私はまだ沖縄で引っかかっていたことが続いていたのか思うとゾッとして、それ以降その友達といることが怖くなり徐々に疎遠になっていったので今はどうしているかはわかりません。無事だといいのですが、、、。
(女性)
戦没者が憑依してしまった体験談
当時、高校生の時に修学旅行で沖縄に行きました。沖縄と言えば、平和祈念資料館を始めたくさんのガマなど戦争跡地が今でもたくさん残っています。
修学旅行では、全員で平和祈念資料館へ行きガマへ入るという日程が組まれていました。具合が悪くなる人がいるので苦手な人は無理に入らなくていいですよ。と、事前に言われていましたが、ちょっと、気味が悪い気もしましたが戦争映画が好きでよく見ていたし中々入れる機会がないので、もちろん入ることに。
入り口が狭いので、一列になって順番に進んで行きガマの中は湿っぽく真っ暗で水が滴る音が時折聞こえるくらい静かでした。
いろんな部屋を周り、軽傷を追った人が収容される部屋、もう助かる見込みがない人が収容された部屋、一つ一つ説明していただきながらゆっくり進んで行き、もう助かる見込みがなくむしろ亡くなった人もいたという大部屋に入った時、持っていた懐中電灯を一斉に消して黙祷しました。
みんなが電気を消して、もちろん私も黙祷していた時ですが突然涙が溢れて止まらなくなり、気づいたら平和祈念資料館の中にいたのですがその時のことはもう記憶が途切れてしまって覚えていません。後から友達に聞いた話ですが、なぜ助けてくれなかったのと泣き叫んでいたそうです。私に乗り移ってしまったのでしょうか、、
(女性)
意識が無くなった友人 友人の体験談
私が高校生の頃の、他校の友人から聞いた話です。友人は霊を感じやすい体質と言っていました。友人が修学旅行で行った沖縄で体験した話が真実味があって怖かったです。
沖縄での修学旅行では必ず戦争についての施設をほとんどの方が見学すると思います。友人の学校もそうで、その学校では、当時使われていた防空壕を見学したそうです。友人は防空壕に近づくと気持ち悪さと寒気を感じていたそうです。霊感があったこともあり、できれば入りたくなかったと言っていました防空壕に入る手前で少女の声が聞こえましたが他の子は気にしていませんでした。
中に入るとだんだん意識がなくなり、気が付くと友人はバスの中で寝かされていたそうです。
心配して傍にいた子に何があったのか尋ねると、その子は驚き、あなたは急に立ち止まって泣き叫び始めて正気を失っていた様子で、その後急に倒れてここに運ばれた、と言ったそうです。
友人に泣き叫んだ記憶などが全くなかったので怖くなりました。
真相は分かりませんが、おそらく戦争中に防空壕で亡くなってしまった少女の霊が彼女に乗り移ったのではないかと話していました。怖さと同時に悲しさを感じる話でした。
(東京都 女性)
もんぺ姿の女の子の霊
沖縄に修学旅行に行った時のこと。沖縄では有名なガマ(戦争中避難していた劣悪環境の洞窟のような所)にみんなで入ったのだが、入り口から中まで真っ暗のため一人一つの懐中電灯を持って中へ。すると突然私の持っていた懐中電灯がいきなり切れたため、隣にいたお友達の明かりを借りることに。
ガマの中はすごい湿度と温度で足元は暗くてよく見えないがぬるぬるした泥上だった。
現地の方の話ではこの中で亡くなった人の遺体の油分がそのまま残っているといったような話が始まったとたん、隣にいたお友達が天井近くを懐中電灯でいきなり照らして慌てて私の肩をたたいてきた。
「どうしたの?」と聞くと「ねぇ…やばい」という。
「何がやばいん?」と聞くと「あそこ!あそこ見て!女の子二人こっちみとる!汗」私は嘘だろ?と見てみると友達が照らした先には本当に女の子が二人いるのである。
しかも何メートルも上の真っ暗な場所にほわりと白い色にそこだけが切り取られているように。
よく見ると上はセーラー、下はもんぺ姿で髪は片方がおかっぱ、片方が三つ編みのおさげである。
「マジやん…」と手に汗をかいていると高い場所から見下ろす二人がこっちに手を振り始めたのである。あまりの怖さに友達は懐中電灯のスイッチを切り震えていた。
この体験をした後に担任の物理専攻の先生に自分の急に切れてしまった懐中電灯を見せに行くと「これは電球が変な切れ方してるね、不思議」と言われ、その後夜ホテルの部屋で撮った写真には沢山のオーブが映りこみ、次の日にはこの体験が周りで見ていた子から全クラスに噂となって回ったのだった。
(愛知県 女性)
ガマへの入洞体験後に起こった不思議な体験
私の中学の修学旅行先は沖縄でした。修学旅行の中でも「学びを深める」そんな名目で盛り込まれた、ガマへの入洞体験と、首里城参拝、更に戦時中を生きた方々の当時の体験談を聞く。そんなイベントが目白押しだった修学旅行で、私が唯一行きたくなかったのは、ガマへの入洞体験でした。
私たちが訪れる先にあったガマは、その手榴弾の餌食となり、約百数名ほどが命を失ったと報告されている場所でした。
約80名の生徒が入ったその空間は、狭く、蒸し暑く、普通でも気分が悪くなってもおかしくない様な状態でした。30分ほどで、ガマを後にし旅館へ帰ったのですが、その夜のことです。何かが這うような音がして、私は目を覚ましました。
就寝時間で真っ暗になった部屋から聞こえるその音は、人為的なものでは無いと容易に想像が出来ました。そのまま寝てしまおうと思ったのですが、その思いとは反して私は上半身を起こしました。いえ、起こされた。と言った方が正しいかと思います。見ると足元には両足の無い兵隊達が身体を引き摺るようにほふく前進をしている姿がありました。
そのまま部屋の隅に視線を移します。小さな子供を抱き、うずくまる母親の姿が見えました。顔が焼け爛れ、我が子を守ろうと、覆いかぶさるように抱きかかえる母親。子供の「お母さん、熱いよ。痛いよ。」という声が聞こえました。私の両脇には若い女学生が立っており、恨めしそうに私を見下ろしていました。
髪は焼け焦げており、片側の頭皮は剝き出しになっています。床にぽつりぽつりと血が滲み、独特な鉄の香りが鼻を付きました。
背後から唐突に絞められた首。苦しくて顔をしかめた時、声からして初老の男性のように感じました。「苦しい。痛い。ずっとずっと痛い。痛い。死ねない。苦しいのに。」男性の指がドンドン私の首に食い込んでいく感覚。この時は恐怖よりも、悲しさの方が大きかったのを覚えています。
気が付くと朝になっていました。私は夢を見ていたのでしょうか。ただ、二度と戦争などという凄惨な歴史を繰り返さないで欲しいと願うばかりです。
(大阪府 女性)