屋根から転落しそうになった体験談
北海道の極寒の冬のことでした。わたしが小学生低学年ぐらいのことです。3歳上の兄と家の二階の屋根で雪遊びをして遊んでいました。その日は特に寒く、積った雪は凍っていました。あまりよく覚えてはいないのですが、わたしははしゃいで遊んでいて足を滑らせてしまったのです。
ちょうど屋根のはしで転んでしまい1階から2階に「落ちる!!」と思いました。しかし偶然にも何かの配線に足が引っ掛かり1階には落ちずにぶら下がった状態になりました。
下を見ると雪が凍り塊が尖って凶器になっています。
このまま落ちたら死ぬと思いました。そして兄が「ファイト!いっぱ~つ!!」と助けてくれました。
もしひとりで遊んでいたら、力尽きて凍りの山に頭をぶつけて大惨事になっていたかもしれません。もし配線がなっかたらそのまま勢いよく凍りの山に突っ込んでしまっていたでしょう。
最悪の事態のことを考えると30歳を超えた今でもぞっとします。
小学生の記憶はあまり覚えていないのですがこの出来事は九死に一生と聞くと、パッと思い出されます。
あの時の状況が少しでも変わっていたら今の状況も変わっていたかもしれません。雪遊びは楽しいですが気を付けなければ大惨事を招く事態になります。
(北海道 女性)
兄妹でプールで遊び死にかけた体験談
此の話は私が小学校低学年の頃、学校では兄のクラスへちょっかいをかけに出向き、授業が終われば毎日外へ出かけ暴れる正にクソガキです。
そんな兄なので夏休みが始まり、家族旅行などで友達と遊べなかったりすると、有り余った体力を発散する為、私と妹にプロレスで遊ぼうとよく誘って来ました。私と兄の年齢差は2歳。お互い身体は小さかったですが力の差は歴然。更に兄は手加減というものを知らないので幼い私にも容赦なし。技をかけられる度大泣きしていました…。しかしながら当時は私も負けず嫌いな所があり、何度泣かされても臆さず反撃!それが更に兄を刺激していたのかも知れません。そんな生傷の絶えない夏休み半ば。蒸し返す暑さにダラけていたいたら母に掃除の邪魔だから外へ遊んで来い。と言われ私と兄、妹でプールへ行くことになりました。
兄の後ろを自転車で漕いでる時にはもう憂鬱で、乱暴で暴れ馬の兄に何をされるか気が気では無かったです。目的地に到着し、そう広くないプールに人もまばらですがいた為、兄から離れて遊べば良いか。とひとまず安心しました。妹はまだ小さかったので私と一緒に泳ぐ練習などをして楽しんでいた所、泳ぐのに飽きた兄は私たちを見つけ、プロレスをしよう。と声をかけて来ました。
こんな足も滑るし畳の様に柔らかくもない硬いコンクリートの上で危ないから嫌だと拒否しましたが兄は聞かず、私たちを追いかけ回しました。兄はプールの中なら衝撃も少ないし大丈夫だ。と言いながら私をプールへ引きずり込み、普段できない技をかけて来ました。
ジャーマンプレスです。
水の中とはいえ小さい私には衝撃も強く、息も出来ずもがいていましたが兄は手加減をしない。監視員さんの注意が聞こえます。
3、4回されたあたりで意識は朦朧とし口に入ってくる水が吐き出せなくなって来て、なんだか眠る様に意識が落ちて行く中、もう一度、監視員さんの声だけが聞こえました。
泣き声が聞こえて目を開けると妹が居ました。意識を失ったのは数分だったらしく、監視員さんに怒られる兄を見てザマアミロ。と思ったのを覚えています。
今では大事ですが昔は兄妹喧嘩で大怪我なんてよくある事なので死にかけた思いをしてもそのまま家に帰って変わらぬ日常の繰り返しです。危うくこの世からおさらばする所でしたが兄とはその後も殴り殴られの喧嘩をし、今では仲良くゲームで協力しあう中です。
(千葉県 女性)
かまくらが崩落!
私は札幌出身で18歳まで札幌で育ちましたが、今から28年前の11歳の頃に小学1年から一緒に剣道を習っていた幼馴染の家に泊まりがけで遊びに行くことになりました。
季節は真冬、人数は同級生が4人と、宿泊させてもらった家のお兄ちゃんが1人の計5人でした。
実はその家、盤渓という(ファミリー向けのスキー場があることで有名)山の奥、定山渓の手前にある山深い地域にある家で、その昔、(家族4人が住む家を)その家のお父さん1人で造ったというコンドミニアム風の家でした。
バギーで家の周りを走り回ったり、近所の茂みでビバークしたりいろんな遊びをしましたが、かまくらを作って4人で寝袋に入って1夜を過ごそうという話になりました。
小学生4人分のかまくらは結構大きなものになり、スコップで延々に雪を集めたのを覚えています。
すると4人がかまくらを作っている横で、「見本を見せてやる」とその家のお兄ちゃんが言い始め一人でどんどん雪を掻きはじめました。
結果、自分たちが作っていた大きなかまくらとお兄ちゃんが作った中ぐらいのかまくらが2つ並ぶことになりました。
お兄ちゃんが4人を呼んで「今からかまくらを軽量化するから4人中に入れ」と言いました。
言われた通りにかまくらに入るとお兄ちゃんがかまくらのサイドを刈り上げ始めます。
自分は外側に座っていたのですが真ん中に座っていた友人が「かまくらの横が透けてる!やばい」と言いました。
次の瞬間かまくらが崩落し、外にいたお兄ちゃんが雪をかき分け何とか3人引き上げたのですがさっき「やばい」と言った自分の隣に座っていた子が見当たらないのです。
生き埋めになった友達はもろに雪をかぶっており、3分くらい雪を掘り続けてようやく救助されました。
あと数分遅かったら、もし自分が内側に座っていたら、と考えると恐怖の瞬間でした。
その時のお兄ちゃんは、のちにスキーベースジャンパーという肩書きで「ジャンクスポーツ」などにも出演した日本で屈指のエクストリームスキーヤーになりました。
世界初の北米大陸最高峰デナリの頂上からの滑走も果たしています。
(兵庫県 女性)
お風呂上りではしゃぐ危険
約25年前、私がまだ7歳の頃の話です。
私には3つ上の兄がいて、いつもお母さんと兄と私の3人でお風呂に入っていました。
父は仕事で残業をすることが多く、だいたい食事やお風呂は父を抜いた3人ですることが多かった記憶です。
そんなある日、いつも通り3人でお風呂に入って、まずお母さんから出て、お母さんはバスタオルを巻いた状態で私と兄を浴室から出し、まず、兄を着替えさせてリビングに行かせました。
兄はすぐにテレビをつけ、リビングのテーブルのところに座って見ていました。
あとから私を着替えさせた母は兄と同じようにリビングに行かせたのですが、そこからが大事件。
当時髪が長かったのでタオルを肩にかけた状態で出て行くのですが、当時流行っていたヒーローものの真似をしてタオルをマントに見立てて走り出した私‥。
すると案の定、水で濡れていた床でつるっと滑ってしまいました。
そのままリビングにあるテーブルの角に頭をゴツン!
兄が驚いて母を呼び、お母さんが慌ててかけつけ、急いで救急車を呼んで病院へ。
8針縫ったそうです‥。
そのぶつかった瞬間の記憶はあるのですが、その後の記憶は全くありません。
でもお医者さんからはお風呂上がりで血行もよかったからもう少し連れてくるのが遅かったら危なかったとまで言われたそうです。
いまだに眉毛の上のあたりに傷があり消えません。
(北海道 女性)
マンホールから落ちかけた体験
今から28年前、私がまだ6歳だった頃の話です。
近所に公民館があり、そこには広場があるので友達と鬼ごっこをしたりして遊ぶのが日課でした。
その日もいつも通り公民館でかくれんぼをして遊んでいました。
絶対に見つからないようにコンテナの中に入って上からまたコンテナをかぶって隠れていました。
私たちが当時やっていたかくれんぼは鬼とドッキングして、見つかってもタッチされなければ負けにはならないルールでした。
コンテナの中に隠れていたら、案外早く見つかってしまい、慌てた私はコンテナから逃げ出して走り出しました。
その先にはマンホールがありました。
もう錆びだらけで立ち入らないように言われてはいたものの、バリケードされているわけではないので近づくことができます。
慌てて走り出したのと、タッチされたくない一心でそのマンホールのある場所に足を踏み入れてしまいました。
すると、錆びたふたががしゃーん!と音を立てて壊れ私はストーンと落ちかけました。
とっさの判断で両手を広げ何とか落ちないように力を入れて耐えました。
その様子に、かくれんぼどころではなくなり、鬼役の友達が大きな声で隠れているほかの友達を呼んでくれました。
その時の私は、踏み込んだ左足がマンホールの下にたまっていたへどろなのか液体のくさいものに先が浸かっていて冷たかったです。
友達が私の腕をしっかり捕まえて体を支えて引っ張ってくれました。
すぐに大人の人が駆けつけてくれて引き上げて病院に連れて行ってくれて落ちた時に錆びたマンホールのふたで切り付けられた腰やお腹の治療をしてもらいました。
もしあの時両手を万歳の形のまま落ちていたら、あのくさい液体の中でおぼれて死んでいたのかもしれないと思うとぞっとします。
九死に一生でした。
(女性)