食中毒で意識が遠のき、自分自身に拒まれた体験談
静岡県在住、今から23年前と少々古い話です。たしか7月の半ば頃でした。ある日曜日、友人と映画を観に行きました。人気の作品だったので観る予定の上映時間よりだいぶ早めに待ち合わせをしていたので先に昼食を取ることにしました。
ちょうどお昼近い時間という事もありなかなか見つかりません。たまたま近くにあった店をのぞいたところ奇跡的にまだ空席がありました。
二人ともサラダと飲物が違いましたが、同じランチメニューのチキン料理を注文しました。おいしい、と言ってぺろりと平らげ映画館へ。長い上映時間をおえてそれぞれ帰宅しました。
翌日の月曜日の午後1時半頃でした。
私は胃のあたりになにやら違和感と時々やってくる胃痛とはちょっと違う痛みを感じていました。何だろう、そう思いながらも仕事をしていましたが、時間とともにだんだん体もだるくなり吐き気も起きてきました。
寝れば治るかなと思い、定時の5時と同時に上司に体調悪いから帰ると言って帰宅。しかし具合はどんどん悪くなります。急いでシャワーをあびましたが浴室で突然吐いてしまいました。
なんとか片づけ着替え布団に入りましたが寝ることもできないくらい胃が痛く吐き気があります。そこから2時間ほどひどい下痢と嘔吐を繰り返し家族に連れられ救急病院へ。
自力で歩く事も出来ないため車椅子使用の有様でした。すぐに簡易的ではありましたが便や尿等検査され、医師から食中毒の疑いありと言われました。詳しい検査ができないため翌日にちゃんと大きい病院へとか諸々指示され帰宅。しかし、嘔吐は止まらず胃液のような液体だけがでてきます。
水分をとっては嘔吐しを何度も繰り返し激しいお腹の痛みで意識が遠のきました。
夢の中で見たこともないような美しい風景が広がっています。美しい蝶や花、きれいな川、ふと見ると向こうの河岸に私がいました。どうして、と思いながら向こう岸に向かって進むと向こう岸の私がニコニコしながら、まだ来ちゃダメといいます。それでも進もうとすると今度は強い口調で戻りなさいと言われました。
目を覚ますと、電話の子機を握りしめた母と姉がいました。ほんの僅かでしたが、呼びかけても触っても何の反応もなかったそうです。
苦しかった吐き気も和らいでました。見た物が何であったのかわかりません。ただあの風景はこの世の物ではないように思えました。
(静岡県 女性)
意識不明になり、亡くなった祖母に言われた言葉
北海道に住む40代男性です。今から30数年前の私が中学生の頃、九死に一生を得る体験をしました。
休み時間、校舎内の廊下で仲間と一緒にサッカーをして遊んでいました。ボールは新聞紙を丸めてテープで固めた簡易なものです。私はFWとして相手ゴールにドリブルしていたところ、競り合ってきた相手DFが私の足を引っかけてきました。その拍子で私は廊下の壁にダイビングヘッドしてしまい、そのまま意識不明となってしまいました。
担任の先生が必死に私を起こしてくれましたが、すぐに気絶してしまい、救急車で運ばれ入院しました。
結局3日間意識が戻らず、私がベッドで意識を戻した時には、目の前で両親が泣いていたのを覚えています。
後から医師に、怪我をした時、教師に一度意識を戻らされたことが奇跡の生還に繋がったと言われました。
後遺症として視力が落ちてしまいましたが、半身不随までには至らず幸運でした。昏睡状態の時、三途の川に居る自分がおり、対岸にはすでに他界していた祖母が「まだ来るのは早い」と言われたのを覚えています。
退院後、普通の生活を送っていますが、「命を救われた、第二の人生」との意識が強く、「人のために生きよう」という人生観に非常に影響を与えています。
(北海道 男性)
亡くなった友人たちが必死に止めてくれた経験
北海道在住です。
数年前に胃炎で入院した時に体験しました。
あまりに腹痛がひどかったので、いつもより強力な鎮痛剤を点滴してもらったら、それがどうも合わない薬だったらしくて呼吸ができなくなりました。
脈もゆっくりになってゆき、あれよあれよと特別室へ移動。
看護師さんが沢山駆けつけて、色々してくれるのに全然よくならず、私はふと起き上がって苦しいなぁと思いながら後ろを見ると自分が看護師さんに囲まれてました。
びっくりして病室の壁際を見ると、数年前に亡くなった友人たちがいて、一生懸命手でバツ印を作っています。
私はのんきに彼女たちの方に手を伸ばしたのですが、握手しようとした手を止められ、戻って戻ってと言うように唇を動かしていました。
そういえば夫はどうしただろう、と思った時にギュンと後ろに引っ張られ、視点が寝ている自分のものになりました。
一瞬苦しくもなくなったのに、その時はすごく苦しくて、ハヒハヒしたのがものすごく印象に残っています。
あと、友人たちは声が出せないみたいで、ジェスチャーで一生懸命戻れと言っていたのがちょっとおもしろかったです。
(北海道 女性)
こっちに来てはいけないという意思表示
長女一人と同居、長女が生まれる1年前、今から約45年ほど前に髄膜炎と言う病気で入院したことがあります。
連日ひどい頭痛に悩まされ、初めは風邪かと思ったり歯が悪いのかと歯医者へ行ってみたりマッサージもしてみたりしたのですが、頭痛は収まらず約半月近く経ってようやくただ事ではないとクリニックの医者の判断で緊急入院致しました。
直ちに検査が始まりその日のうちに意識がなくなって2日間昏睡状態に陥りました。
とても苦しかったのですが、その間に今思えばあれが「幽体離脱」と言う状態だったのかと考えておりますが、いきなり病室が真上から見ている感じで見えベッドの周りに家族や日ごろあまり会わない親戚が見えました。
後から聞きますと今のうちに会わせたい人を呼んだ方が良いと医者から言われ皆が集まったそうでした。
そのうち激しい頭痛もあちこちに刺された注射の苦痛もなくなり体中がなんとも言えなく温かいものに包まれ、暗闇からだんだんと明るくなる光に導かれるようにフワフワと漂う感じで前へ進んで行ったと思います。
そしてその先にサラサラの髪で薄いブルーのドレスを着た女性が後ろ向きに立っていて私が進むと少しづつ離れて行きました。
そのような感じを味わっていると遠くから私の名前を呼ぶ母の声が聞こえて来て目が覚め体中が冷たくなっていました。
その時の体温は34.7度だったと後から聞きました。
後々母にそのことを話すと、夢に現れたのは10歳で亡くなった私の妹で後ろ向きだったのはまだこちらに来てはダメと言う意思表示だったのではないかと言っていました。
その後約3ヵ月の入院で病気は完治いたしましたが、あれから40年以上経った今でもあの時の感覚ははっきり残っております。
(東京都 女性)
あの世とこの世を隔てる透明な壁
私が22歳の頃に、病気で大きな大学病院で手術をしました。
その時に体験した話です。
私は脳の病気で、その治療には手術が必要であり、その時には全身麻酔をしなければいけませんでした。
手術自体はそこまで危険なものではないと言われてはいたものの、手術直前、私は全身麻酔が初めてであった為、ものすごく緊張していました。
「自分はもう麻酔の後に目が覚めないのでは?」とも思っていました。
そうこう考えているうちに、手術となり麻酔を打たれると、私の意識はスゥーっと無くなりました。
その後、私は目を覚ますと、なんと手術台の上にいました。
手術されている自分を見下ろしているような感じです。
自分の体はたしかに下にあるのに、なぜか意識だけが上に浮いているようでした。
しかし、特にヤバイなどと感じることもなく、辺りを見回すと白い光がたくさんふわふわ浮いて漂っていました。
それがなんとも言えないくらいすごく心地よかったのを覚えています。
そして、自分も、白い光になっていることに気づき、周りの白い光と共に上に向かっていきました。
すると、遠くに一年前に亡くなったおばあちゃんが見えてきて、私に手を振っていました。
私はおばあちゃんの方に行きたいのだけれど、何か透明な壁があり、跳ね返されてそちら側には行けません。
それでも必死に壁に体当たりをしていると、おばあちゃんは笑顔で首を横に振りました。
それで私が、「向こうには行けないのだな。」と感じた瞬間に、目が覚め、私は病院のベッドの上にいました。
おばあちゃんに会ったことを家族に伝えると、とても驚いていました。
私自身も、物理を大学で専攻していてそういうものはあまり信じていなかったのですが、臨死体験って本当にあるのだな。と実感しました。
(宮城県 男性)
喘息の発作
平成2年の事です。
元々、喘息の持病がありましたが、大抵吸引器を持ち歩いていましたので、さほど、外出先で困ることはありませんでした。
しかし、その年のお正月休みに当時、24歳でしたが、婚約者と一緒に初詣に行こうと自宅で準備をしていましたが、急に発作が起こり、私は母に「救急車呼んで!」と叫んだことまで覚えていますが、それからは全く覚えていません。
しかし、夢をずっと見ていました。
電車に乗ってどこかに行く夢です。そして、川がありました。その先には綺麗な花が沢山咲いています。そこに行くのにはその川を渡らなくてはなりませんでした。
ここで登場したのが、お椀に乗った一寸法師でした。(今、思うと何故一寸法師だったのかは分かりません。)私はその方に「乗せて!」と言いましたが、残念な事に「ダメ!」と断られました。多分、その数日後に目が覚めました。
何故かベットに寝ていました。(いつも家では布団で寝ていたので不思議だなと思いました。)
そして、立ち上がろうとすると、立てないのです。
そして、息を吹き返したそうです。
家族には医師から「植物人間の状態で、治らないかもしれない」と告げられていたそうです。倒れた日から約4か月が経っていました。
初詣がもう花見の季節になっていましたが、ぼーっとしている私を見て、母は婚約を破棄したそうです。
もちろんですが、彼にも彼の人生がある事です。あれから、もう25年が経とうとしています。
生きていることが嫌になる様なリハビリなどを必死に頑張り、今からの人生はどうなるのだろうと思っている今日この頃です。
(熊本県 女性)